ヴァシーリイ・ミハイロヴィチ・ロバーノフ=ロストーフスキイ «ボリショーイ»
Василий Михайлович Лобанов-Ростовский "Большой"
公 князь
生:?
没:1606
父:ミハイール・ボリーソヴィチ・ロバーノフ=ロストーフスキイ公 (ボリース・イヴァーノヴィチ・ロバーノフ=ロストーフスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
アファナーシイ | -1629/38 |
第22世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。ロシア貴族。
1578年以降、リャザニ、プロンスク、コロームナなどで総督や軍司令官として、対タタール戦に従事。
同時にリヴォニア戦争にも従軍し、1581年にはプスコーフ防衛戦に参加。ポーランド王ステファン・バトーリからプスコーフを護った。1582年にはノーヴゴロドでスウェーデン軍と戦う。
リヴォニア戦争終結後も、トローペツ、ノーヴゴロド、プスコーフに派遣され、西方防衛の任にあたる。