ロマーン・ミハイロヴィチ
Роман Михайлович
ベロオーゼロ公 князь Белозерский (1314-39)
生:?
没:1339
父:ベロオーゼロ公ミハイール・グレーボヴィチ (ベロオーゼロ公グレーブ・ヴァシリコヴィチ)
母:? (ヤロスラーヴリ公フョードル黒公)
結婚:?
子:?
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | フョードル | -1380 | ベロオーゼロ | フェオドーシヤ | モスクワ公イヴァン1世・カリター | |
2 | ヴァシーリイ | スゴルスク |
第14世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
両親の結婚が1278年頃とされているので、次男であったと思われるロマーン・ミハイロヴィチの生年は1280年代初頭というところか。
1293年に父が死んだが、遺領は兄フョードル・ミハイロヴィチが継いでいる。この時ロマーン・ミハイロヴィチが分領を得たのかどうかはわからない。
1314年、兄の死でベロオーゼロを相続した。
1338/39年、ウズベク・ハーンに召喚されたトヴェーリ公アレクサンドル・ミハイロヴィチに同行し、従兄弟のヤロスラーヴリ公ヴァシーリイ雷眼公とともにサライに伺候。モスクワ公イヴァン・カリターについての苦情をウズベク・ハーンに訴えた。
父と同様、サライにて客死したらしい。