イヴァン・イヴァーノヴィチ «ドールギイ»
Иван Иванович "Долгий"
プージュボラ公 князь Пужбольский
生:?
没:?
父:ロストーフ公イヴァン・アレクサンドロヴィチ (ロストーフ公アレクサンドル・コンスタンティーノヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ヴラディーミル | ||||||
イヴァン | ||||||
セミョーン | ||||||
ミハイール |
第18世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
一般的には父はロストーフ=ボリソグレーブスキイ公であったとされているが、家系図が伝えるだけで、同時代の年代記には名前すら出てこない。もっとも当時の年代記には、時のロストーフに関する記述自体がほとんど存在していない。
父がいつ死んだかも不明だが、父の死後ロストーフ=ボリソグレーブスキイ公位がどうなったかもまったくわかっていない。一般論からすれば、伯父アンドレイ・アレクサンドロヴィチの遺児(イヴァン・イヴァーノヴィチの従兄弟たち)がより «年長» であるから、かれらが公位を継いだのだろうと想像される。しかし当時はすでにロストーフにはモスクワ大公の代官が派遣されており、ロストーフ(=ボリソグレーブスキイ)公と言っても名前だけの存在であった。とすれば、イヴァン・イヴァーノヴィチも含めたロストーフ(=ボリソグレーブスキイ)系の全員がロストーフ(=ボリソグレーブスキイ)公と名乗ってもおかしくはない。
1474年、従兄弟のヴラディーミル・アンドレーエヴィチとともに、ロストーフ=ボリソグレーブスキイ公領をモスクワ大公イヴァン3世大帝に売却する。これによりロストーフ公領の歴史は幕を閉じた。