ヴラディーミル・ヴォロダーレヴィチ
Владимир Володаревич
ミンスク公 князь Минский (1182頃)
生:?
没:?
父:ミンスク公ヴォロダーリ・グレーボヴィチ (ミンスク公グレーブ・フセスラーヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第10世代。ポーロツク系(ミンスク系)。
記録に残る最後のミンスク公。1326年頃、ヴァシーリイというミンスク公がいたらしいが、素性は不明。
1182年にミンスク公として言及されるだけで、ほかの情報は不明。
父親がヴォロダーリ・グレーボヴィチであり、父親の最初の妻がリクサであるならば(ヴォロダーリ・グレーボヴィチの項参照)、ヴラディーミル・ヴォロダーレヴィチの生年は、父とリクサが離婚した1145年頃より後ということになる。おおよそ1150年前後と考えておいていいかもしれない。
父は1167年かその直後に死んだと考えられている。父にはおそらく生き残った弟もいなかったと思われるし、伯父・叔父たちにも生き残った息子がいなかったと思われることから、父の遺領はそっくりそのままヴラディーミル・ヴォロダーレヴィチが相続したと考えていいだろう。
当時はキエフ大公位を巡って、ムスティスラーヴィチ(ムスティスラーフ偉大公の子孫)、ヴラディーミル系、オーリゴヴィチが激しく争っていた時期であり、そのとばっちりがポーロツクにも及んで一時期ミンスクが誰かに奪われていた可能性もないではないが、そうでない限りはヴラディーミル・ヴォロダーレヴィチが1167年(頃)以降ミンスク公であったと考えられる。
ポーロツク公ヴラディーミルと同一視する説もある。であるならば、その没年は1215年頃と考えられるので、ミンスクとポーロツクをあわせてその治世はおよそ50年に及んだことになる。