ヴァシリコ・ブリャチスラーヴィチ
Василько Брячиславич
ヴィテブスク公 князь Витебский (1181)
生:?
没:1221?
父:ヴィテブスク公ブリャチスラーフ・ヴァシリコヴィチ (ポーロツク公ヴァシリコ・スヴャトスラーヴィチ)
母:?
結婚:
& ? (スモレンスク公ダヴィド・ロスティスラーヴィチ)
子:?
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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スモレンスク公女と | ||||||
1 | ブリャチスラーフ | ヴィテブスク | ||||
2 | リュボーフィ | フセーヴォロド大巣公 | 1154-1212 | ヴラディーミル大公 |
第11世代。ポーロツク系(ヴィテブスク系)。
一切の情報が不明。1181年にヴィテブスク公であったようだが、この時期すでに伯父フセスラーフ・ヴァシリコヴィチ、父ブリャチスラーフ・ヴァシリコヴィチがともに死んでいたかどうかもわかっていない。
没年は1221年ともされるが、だとすると、1196年にオレーグ・スヴャトスラーヴィチ率いるチェルニーゴフ軍がヴィテブスクに侵攻した際にヴィテブスク公だったのはヴァシリコ・ブリャチスラーヴィチだろう。この時スモレンスク公ダヴィド・ロスティスラーヴィチがヴィテブスクに援軍を派遣しているが、娘婿のヴァシリコ・ブリャチスラーヴィチを救援するためだったということなのだろう。