スヴャトスラーフ・フセスラーヴィチ
Святослав Всеславич
ヴィテブスク公 князь Витебский (1101-29)
生:?
没:?
父:ポーロツク公フセスラーフ・ブリャチスラーヴィチ (ポーロツク公ブリャチスラーフ・イジャスラーヴィチ)
母:?
結婚:
& ソフィヤ公女 (ヴラディーミル・モノマーフ)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
---|---|---|---|---|---|---|
母親不詳 | ||||||
1 | ヴァシリコ | ポーロツク | ||||
2 | ヴャチェスラーフ | |||||
? | 聖エヴフロシーニヤ | 1110-73 | ||||
? | ゴリスラーヴァ |
第8世代。ポーロツク系。
ヴィテブスク系の始祖。
とはいえ、フセスラーヴィチ7兄弟については年代記もほとんど記しておらず、不明の点が多い。スヴャトスラーフ・フセスラーヴィチにしても、生年も不明なら兄弟の何番目だったのかもわからないし(おそらく年少の弟だったろうとされているが、特段の根拠があるわけではない)、そもそも父の死後に分領をもらったのかどうかも実ははっきりしない。最終的にかれの子孫(とされる連中)がヴィテブスク公となっているので、かれが生存中にヴィテブスクを分領としていたのだろうとされる程度である。
1129年、ムスティスラーフ偉大公によってコンスタンティノープルに追放されたポーロツク系諸公のひとりとされている。ルーシに帰還することはなかった。