ソフィア
Sofia af Minsk
デンマーク王妃 dronning af Danmark (1157-82)
生:1140頃
没:1198.05.05
父:?
母:リクサ (ポーランド王ボレスワフ3世曲唇王)
結婚①:1157
& ヴァルデマール1世大王 1131-82 デンマーク王
結婚②:1184?(1190離婚)
& ルートヴィヒ3世 1152-90 テューリンゲン方伯
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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ヴァルデマール1世と | ||||||
1 | ソフィア | 1159-1208 | ジークフリート3世 | オルラミュンデ伯 | ||
2 | クヌート | 1163-1202 | デンマーク王6世 | ゲルトルート | 1155-96 | ハインリヒ獅子公 |
3 | ヴァルデマール | 1170-1241 | デンマーク王2世 | ダグマール | 1189-1213 | ボヘミア王プシェミスル・オタカル1世 |
ベレンガリア | 1194-1221 | ポルトガル王サンチョ1世 | ||||
4 | マルグレーテ | 修道女 | ||||
5 | マリア | 修道女 | ||||
6 | リクサ | -1220 | エーリク10世 | -1216 | スウェーデン王 | |
7 | ヘレナ | -1233 | ヴィルヘルム | 1184-1212 | ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公 | |
8 | インゲボルグ | 1175-1236 | フィリップ2世 | 1165-1223 | フランス王 |
父方の素性不詳。デンマーク王クヌート5世の異父妹。
母親がわかっていて父親が不明というのも妙な話だが、母のリクサ・ボレスワヴォヴナは3度結婚している。最初の夫はデンマーク王子マグヌス(一時スウェーデン王)。マグヌスは1134年に戦死し、リクサは父のもとに戻った。1135年頃に結婚した2度目の夫がソフィアの父親である。1148年、リクサは、最初の夫マグヌスを追ってスウェーデン王となったスヴェルケルと結婚。
リクサのふたり目の夫は、ポーランドの文献では «Valador» と呼ばれていて、これが誰を指すのか判然としない。伝統的に、ミンスク公ヴォロダーリ・グレーボヴィチだと考えられているが(そのためソフィアもスウェーデンでは一般的に «ミンスクの af Minsk» と呼ばれる)、ガーリチ公ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチ、あるいはノーヴゴロド公フセーヴォロド・ムスティスラーヴィチの子ヴラディーミルだとする説もある。さらに別の説によれば、ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公イジャスラーフ・ムスティスラーヴィチともされる(名前はまったく一致しないが)。
ヴラディーミル・フセヴォローディチだとすれば、確かにかれは1136年(?)に死んでいるので、状況は合う。もっとも、夫の死後再婚するまでに10年も待った理由がわからないが。
ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチかイジャスラーフ・ムスティスラーヴィチだとすれば、リクサの3度目の結婚後も生存しているので、何らかの理由で離婚したことになる。
1148年、母がスウェーデン王スヴェルケルと結婚した際、ソフィアもスウェーデンに渡っている。以後スウェーデン宮廷で育ったソフィアは、1154年にヴァルデマールと婚約してデンマークへ。
ソフィアは血筋からすればリューリコヴィチであり、ルーシの姫君ではあろうが、どうやら本人にそのような意識・自覚はなかったようだ。