ロスティスラーフ・ヤロスラーヴィチ
Ростислав Ярославич
スノフスク公 князь Сновский
生:1174.06.24
没:?
父:チェルニーゴフ公ヤロスラーフ・フセヴォローディチ (チェルニーゴフ公フセーヴォロド・オーリゴヴィチ)
母:?
結婚:1187
& フセスラーヴァ公女 (ヴラディーミル大公フセーヴォロド大巣公)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
? | フセーヴォロド | -1261 | チェルニーゴフ |
第10世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。洗礼名ヨアン(イヴァン)。
父は1198年に死去。よくわからないが、この時スノフスク公になったとされる。
その後、1210年と言えば従兄弟のフセーヴォロド真紅公がキエフ大公になった年だが、この時ロスティスラーフ・ヤロスラーヴィチはヴィーシュゴロド公になったとされている。しかし1214年にフセーヴォロド真紅公がキエフ大公位を追われると、ロスティスラーフ・ヤロスラーヴィチもヴィーシュゴロドから追われた。
その後は一切不明。