ユーリイ・ヤロスラーヴィチ
Юрий Ярославич
ムーロム公 князь Муромский (1129-43)
生:?
没:1143
父:ムーロム公ヤロスラーフ・スヴャトスラーヴィチ (キエフ大公スヴャトスラーフ・ヤロスラーヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第8世代。スヴャトスラーヴィチ(ムーロム系)。
ヤロスラーヴィチ3兄弟については、生年も長幼の順もはっきりしない。
父はスヴャトスラーヴィチ5兄弟の末弟であり、その生年は1070年ともされる。結婚した年も(相手も)不明なのであとは想像でしかないが、ヤロスラーヴィチ兄弟の生年はおおよそ1090年代から1100年代と見ていいのではないだろうか。
長幼の順についていえば、一般的にはユーリイ、スヴャトスラーフ、ロスティスラーフの順とされているようだ。
父は1123年にセーヴェルスカヤ・ゼムリャーも領有し、スヴャトスラーヴィチ一族の «ヴォーッチナ(父祖の地)» 全土を支配したが、1127年にはセーヴェルスカヤ・ゼムリャーを失い、もとから領有していたムーロム=リャザニだけとなった。
1129年、父が死去。遺領はヤロスラーヴィチ兄弟で分割され、ユーリイがムーロムを、スヴャトスラーフがリャザニをそれぞれ領有した。しかしロスティスラーフについては、別にプロンスクを領有したとする文献もあれば、スヴャトスラーフとともにリャザニを共同統治したとする文献もある。
ムーロム公としての在位期間は10年以上にわたったが、その間のことはまったくわかっていない。家族も不明。