ヴラディーミル・ヤロスラーヴィチ
Владимир Ярославич
プロンスク公 князь Пронский (1343-71)
リャザニ大公 великий князь Рязанский (1371-72)
生:?
没:1372
父:リャザニ大公ヤロスラーフ・アレクサンドロヴィチ (プロンスク公アレクサンドル・ミハイロヴィチ)
母:?
結婚:
& ? (リャザニ大公オレーグ・イヴァーノヴィチ)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | イヴァン | -1430? | プロンスク |
第18世代。スヴャトスラーヴィチ(ムーロム系)。
父の死は1344年。ヴラディーミル・ヤロスラーヴィチはプロンスクを相続したらしい。もっとも確証はないし、異説はあるし、はっきりしない。
1365年、リャザニ大公オレーグ・イヴァーノヴィチに従い、モルドヴァー人と戦う。
1371年、モスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイが軍を派遣し、ドミートリイ・ボブロク=ヴォルィンスキイがオレーグ・イヴァーノヴィチをペレヤスラーヴリ=リャザンスキイ近郊を撃破。ドミートリイ・ドンスコーイはヴラディーミル・ヤロスラーヴィチをリャザニ大公とした。しかしやがてオレーグ・イヴァーノヴィチにペレヤスラーヴリ=リャザンスキイを奪回され、ヴラディーミル・ヤロスラーヴィチはその捕虜となった。