ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチ
Василий Константинович
リャザニ大公 великий князь Рязанский (1301-08)
生:?
没:1308−サライ
父:リャザニ大公コンスタンティーン・ロマーノヴィチ (リャザニ公ロマーン・オーリゴヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第15世代。スヴャトスラーヴィチ(ムーロム系)。
1301年、父がモスクワ公ダニイール・アレクサンドロヴィチの捕虜となる。
この辺りよくわからないが、リャザニはダニイール・アレクサンドロヴィチに占領されたわけではないらしい。父はモスクワに連行されて投獄されたが、リャザニではどうやらヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチが後継の公として擁立されたようだ。
もっとも、リャザニ大公としての事績は不明。父は1305年・06年・07年にモスクワで殺されたらしいが、救出のためにどんな手を打ったのか、そもそもリャザニとモスクワの関係はどうなっていたのか、等一切不明。
想像で言うなら、ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチの生年は1290年代。もしそうだとすれば、リャザニ大公としての事績が一切知られていなくても不思議はない。
サライにて殺された(『ニーコン年代記』)。ただし「殺された」と伝えられているだけで、理由や状況は不明。