リューリク家人名録

ヤロスラーフ・ヴラディーミロヴィチ

Ярослав Владимирович

マロヤロスラーヴェツ公 князь Малоярославский (1410-26)

生:1388/89.01.18
没:1426.08.16

父:セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公セールプホフ公アンドレイ・イヴァーノヴィチ
母:エレナ (リトアニア大公アルギルダス

結婚①:1408
  & アンナ公女 -1411 (ノヴレンスク公セミョーン・ヴァシーリエヴィチ

結婚②:
  & マリーナ・フョードロヴナ・コーシュキナ=ゴルテャーエヴァ (フョードル・フョードロヴィチ・コーシュキン «ゴルテャーイ»)

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
マリーヤ・コーシュキナと
1ヴァシーリイ-1483セールプホフマリーヤ・イヴァーノヴナ
2マリーヤ-1484ヴァシーリイ2世1415-62モスクワ大公
3エレーナミハイール・アンドレーエヴィチ-1486ヴェレヤー公

第16世代。モノマーシチ(モスクワ系)。洗礼名アファナーシイ。

 まずこの名前がよくわからない。いまさら異教風の名と正教徒としての洗礼名とのふたつを持っていたということだろうか。兄弟は全員キリスト教風の名しか持っていなかったのに(アンドレイ、イヴァン、セミョーン、フョードル、ヴァシーリイ)。

 1410年、父が死去。ヴラディーミロヴィチ兄弟は父の領土を分割したが、ヤロスラーフ・ヴラディーミロヴィチはマロヤロスラーヴェツ(父が建設し、ヤロスラーフにちなんで名づけた)をもらう。

 いきさつはよくわからないが、1415年にモスクワ大公ヴァシーリイ1世からリトアニア大公ヴィタウタス偉大公に鞍替え。ヤロスラーフ・ヴラディーミロヴィチが分領を有するこの地域(現カルーガ州北部)は、14世紀半ばにドミートリイ・ドンスコーイによってモスクワ大公領となっていたが、リトアニアとの領土争いの最前線に位置していた。それとも関連があるのかもしれない。
 1421年にモスクワに戻る。そのままリトアニアへの勤務を続けていたらもう少し長生きできたかもしれない。

 1423年頃、北東ルーシで疫病(ペスト)の大流行が始まる。1422年には兄イヴァン、1425年にはヴァシーリイ1世、1425年から26年にかけて3人のトヴェーリ大公、そして1426年にはセミョーン、ヤロスラーフ、アンドレイのヴラディーミロヴィチ3兄弟が命を落とした。
 最後に残った末弟ヴァシーリイの命も奪って、疫病は1427年頃にようやく終息に向かった。
 クレムリンのアルハンゲリスキイ大聖堂に葬られた。

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