リューリク家人名録

ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチ

Василий Ярославич

セールプホフ公ボーロフスク公 князь Серпуховский и Боровский (1427-56)

生:?
没:1483−ヴォーログダ

父:マロヤロスラーヴェツ公ヤロスラーフ・ヴラディーミロヴィチセールプホフ公ヴラディーミル勇敢公
母:マリーヤ (フョードル・フョードロヴィチ・コーシュキン=ゴルテャーイ

結婚:
  & マリーヤ・イヴァーノヴナ

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
マリーヤ・イヴァーノヴナと
1イヴァン-1508?
2イヴァン1456?-83?
3アンドレイ
4ヴァシーリイ

第17世代。モノマーシチ(モスクワ系)。

 生年は不明だが、1388年頃に生まれた父の唯一の男子であったので、大雑把に1410年代と見ていいだろう。妹(?)マリーヤが1418年の生まれとも言われる。

 1423年頃から北東ルーシを襲った疫病(ペスト)は、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチの父や伯父・叔父たち5人の命を相次いで奪い、1427年に叔父ヴァシーリイ・ヴラディーミロヴィチが死んだ時点では、一族で生き残った男子はヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチだけとなった。このため、父の代に分割された祖父の分領は、おそらくすべてヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチのものになったものと思われる。

 1433年、マリーヤ・ヤロスラーヴナモスクワ大公ヴァシーリイ2世と結婚し、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチはモスクワ大公の義理の兄弟となった。
 この婚礼がきっかけとなって、モスクワ大公位を巡るヴァシーリイ2世とその叔父ユーリイ・ドミートリエヴィチとの内紛が始まるが、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチは一貫してヴァシーリイ2世を支持。ユーリイ・ドミートリエヴィチの死後ヴァシーリイ・コソーイドミートリイ・シェミャーカとの内紛が続いても、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチはその立場を変えることはなかった。

 1445年、スーズダリにおいてモスクワ軍とカザン軍とが衝突した戦いにも従軍していた。この戦いで、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチのふたりの妹婿ヴァシーリイ2世ヴェレヤー公ミハイール・アンドレーエヴィチは捕虜となるが、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチは負傷しながらも虜囚の憂き目は免れた。
 1446年、ヴァシーリイ2世は釈放されるが、その直後にドミートリイ・シェミャーカによるクーデタが勃発。ヴァシーリイ2世は今度はドミートリイ・シェミャーカに捕らえられて目をつぶされる。
 ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチはリトアニアに逃亡。リトアニア大公カジミエラスからブリャンスク、ゴメリ、スタロドゥーブ、ムスティスラーヴリの徴税権を与えられた。さらにヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチの周囲には、ドミートリイ・シェミャーカに不満を持つ貴族たちが徐々に集まってきた。

 ウーグリチに幽閉されていたヴァシーリイ2世が釈放されたとの報せに、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチはリトアニアから出陣。文字通りアッと言う間に情勢は逆転し、戦いらしい戦いもなくモスクワはヴァシーリイ2世に奪回されて、ドミートリイ・シェミャーカは逃亡。
 ドミートリイ・シェミャーカは講和の仲介役としてヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチを選び、ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチはヴァシーリイ2世ドミートリイ・シェミャーカとを講和させることに成功した。
 旧領セールプホフ、ボーロフスク、ラードネジュ、ペレムィシュリを領有したほか、1447年、ヴァシーリイ2世からドミートロフをもらう。
 その後も策動をやめないドミートリイ・シェミャーカとの戦いでも活躍する。

 1454年、ヴァシーリイ2世モジャイスク公イヴァン・アンドレーエヴィチを追放。ズヴェニーゴロドをヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチに与えた。

 1456年、今度はヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチがモスクワでヴァシーリイ2世に捕らえられ、ウーグリチに追放される。妻子はリトアニアに逃亡し、セールプホフその他の分領はモスクワに併合された。1462年にはヴォーログダへ。
 基本的に一貫して忠実にヴァシーリイ2世に仕えてきたヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチがなぜ突然失寵したか、その原因について年代記は何も説明していない。ただしこの1456年というのは、盲目のヴァシーリイ2世に代わってその長男イヴァン・ヴァシーリエヴィチが政務の表舞台に登場した年である(ちょうど16歳になった)。
 その後復活することなく、«獄死» したとされている。
 モスクワのアルハンゲリスキイ大聖堂に葬られた。

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最終更新日 15 10 2011

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