イヴァン・ヴラディーミロヴィチ
Иван Владимирович
セールプホフ公 князь Серпуховский (1410-22)
生:1381
没:1422.09.07
父:セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公 (セールプホフ公アンドレイ・イヴァーノヴィチ)
母:エレナ (リトアニア大公アルギルダス)
結婚:1401
& ヴァシリーサ公女 (リャザニ公フョードル・オーリゴヴィチ)
子:?
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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ヴァシリーサ・フョードロヴナと | ||||||
? | マリーヤ | アレクサンドル・シチェパー | -1442 | (ロストーフ系) |
第16世代。モノマーシチ(モスクワ系)。
ヴラディーミロヴィチ兄弟の長幼の順や生年についてはよくわからないところもあるが、一般的にイヴァン・ヴラディーミロヴィチは次男と考えられているようだ。兄アンドレイ・ヴラディーミロヴィチは、イヴァン・ヴラディーミロヴィチが結婚した1401年までには死んでいたらしい。
1410年、父が死去。遺領は、当時生き残っていた息子たちで分割されたようだ。すなわち、イヴァンがセールプホフ、セミョーンがボーロフスク、ヤロスラーフがマロヤロスラーヴェツ、アンドレイ(年少の方)がラードネジュ、ヴァシーリイがペレムィシュリをそれぞれ分領とした。
ヴラディーミロヴィチ兄弟については碌な記録が残っていないが、イヴァン・ヴラディーミロヴィチについても何もわかっていない。
北東ルーシでは1423年頃から疫病(ペスト)の流行が始まったが、イヴァン・ヴラディーミロヴィチはその最初期の被害者だったらしい。