スヴャトスラーフ・ティートヴィチ
Святослав Титович
カラーチェフ公 князь Карачевский
生:?
没:?
父:カラーチェフ公ティート・ムスティスラーヴィチ (カラーチェフ公ムスティスラーフ・ミハイロヴィチ)
母:?
結婚:
& テオドラ公女 (リトアニア大公アルギルダス)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ユーリイ | モサーリスク | |||||
ムスティスラーフ |
第14世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
アルギルダスの娘テオドラと結婚したというのは必ずしも確かではないようだが、もしこれが事実だとすると、スヴャトスラーフとその前後の年代に手がかりを与えてくれる。つまり、アルギルダスの子は、早くても1320年頃、遅ければ1370年頃の生まれである。多くの文献でテオドラという娘は2人目の妻の子とされており、どの程度根拠が確かかわからないが、だとするとテオドラの生年はどう早く見積もっても1350年頃ということになる。弟イヴァン・ティートヴィチは1377年に結婚したとも言われるが、その兄スヴャトスラーフの妻テオドラが1350年代以降の生まれということであれば、年代的に合う。
そうなると、スヴャトスラーフ & イヴァンのティートヴィチ兄弟もまた1350年前後の生まれと想像してもいいだろう。
ティート・ムスティスラーヴィチの項でも述べたが、ティートヴィチ兄弟の父ティート・ムスティスラーヴィチがムスティスラーフ・ミハイロヴィチの子ではなく曾孫であったとすれば、世代的にも合致する。