イヴァン・ティートヴィチ
Иван Титович
ペレムィシュリ公 князь Перемышльский
生:?
没:?
父:カラーチェフ公ティート・ムスティスラーヴィチ (カラーチェフ公ムスティスラーフ・ミハイロヴィチ)
母:?
結婚:1377
& アグラフェーナ公女 (リャザニ大公オレーグ・イヴァーノヴィチ)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ロマーン | コゼリスク | |||||
フョードル | エレーツ |
第14世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
スヴャトスラーフ・ティートヴィチの項で述べたように、ティートヴィチ兄弟の世代と父・祖父については問題があると思われる。
いずれにせよ、ティートヴィチ兄弟の生年はおおよそ1350年前後と見ておいてもいいだろう。
兄スヴャトスラーフがカラーチェフを相続したので、弟フョードルとともに父からコゼリスクを分領としてもらう。イヴァンは新都市ペレムィシュリを建てて移住。フョードルがコゼリスクを支配した。