ニキータ・ロマーノヴィチ
Никита Романович
オドーエフ公 князь Одоевский
ボヤーリン боярин (1571-)
生:?
没:1573
父:オドーエフ公ロマーン・イヴァーノヴィチ (オドーエフ公イヴァン・セミョーノヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ミハイール | -1590 | |||||
イヴァン | -1616 | |||||
イヴァン | -1629 | |||||
エヴドキーヤ | イヴァン・ミハイロヴィチ・エレーツキイ公 | カラーチェフ系オーリゴヴィチ |
第20世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。
1560年代から南方の総督、軍司令官として、タタールとの戦闘に従事。1570年と72年には、デヴレト=ギレイの襲来からモスクワを護った。
1572年、カザニに派遣され、蜂起したチェレミース人を鎮圧。
1573年、オカ河畔の総督に任命された直後、突如として処刑される。おそらくは義弟スターリツァ公ヴラディーミル・アンドレーエヴィチとの絡みだろうが、同時に上流諸公領を併合しようとするイヴァン雷帝の意図もあったのかもしれない(同じ年にヴォロトィンスク公ミハイール・イヴァーノヴィチも処刑されている)。