イヴァン・ヴァシリコヴィチ
Иван(Игорь) Василькович
ガーリチ公 князь Галицкий (1124-41)
テレボーヴリ公 князь Теребовльский
生:?
没:1141−ガーリチ
父:テレボーヴリ公ヴァシリコ・ロスティスラーヴィチ (トムタラカーニ公ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチ)
母:?
結婚:
& アンナ公女 (キエフ大公フセーヴォロド・オーリゴヴィチ)
子:なし
第9世代。ガーリチ系。
イーゴリ・ヴァシリコヴィチとも呼ばれる。常識的に考えれば、当時のリューリコヴィチに一般的だった異教的な名とキリスト教徒としての洗礼名とのふたつをかれも持っていて、イーゴリが前者、イヴァンが後者だったのだろう。
1124年、父の死でその遺領を相続し、兄弟のグリゴーリイ・ヴァシリコヴィチと分割した(どちらが兄でどちらが弟かは不明)。
グリゴーリイ・ヴァシリコヴィチが領有した領土はテレボーヴリを中心都市としていたが、イヴァン・ヴァシリコヴィチが領有した領土の中心都市がどこだったのかは不明。ガーリチという都市の名が文献に初めて登場するのは、イパーティイ年代記の1140年の項。1141年にイヴァン・ヴァシリコヴィチの領土を相続したズヴェニーゴロド公ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチが、すぐに居をガーリチに移しているところを見ると、おそらく1140年以前から存在し、かなり発展していたのではないかと想像される。
1127年(?)、従兄弟のペレムィシュリ公ロスティスラーフとズヴェニーゴロド公ヴラディミルコのヴォロダーレヴィチ兄弟が兄弟喧嘩を始める。イヴァン・ヴァシリコヴィチはロスティスラーフ・ヴォロダーレヴィチを支援。しかし1129年にロスティスラーフ・ヴォロダーレヴィチが死んだ後は、ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチと和解したようだ。
1140年、ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチとともにフセーヴォロド・オーリゴヴィチを支援し、キエフ大公位を狙うイジャスラーフ・ムスティスラーヴィチと戦う。
グリゴーリイ・ヴァシリコヴィチがいつ死んだかは不明だが(1126年という説もある)、その死後、イヴァン・ヴァシリコヴィチが遺領テレボーヴリを相続していた。