ヴィルヘルム・オイゲン
Wilhelm Eugen, Вильгельм Евгений
ヴュルテンベルク公 Herzog von Württemberg (1875-)
生:1846.08.08/08.20−ビュッケブルク(ニーダーザクセン、ドイツ)
没:1877.01.15/01.27(享年30)−デュッセルドルフ(ラインラント、ドイツ)
父:オイゲン・エルドマン 1820-75 ヴュルテンベルク公(1857-75)
母:マティルデ 1818-91 (シャウムブルク=リッペ侯ゲオルク・ヴィルヘルム)
結婚:1874−シュトゥットガルト
& ヴェーラ・コンスタンティーノヴナ大公女 1854-1912 (コンスタンティーン・ニコラーエヴィチ大公)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ヴェーラ・コンスタンティーノヴナと | |||||||
1 | カール・オイゲン | 1875 | − | ||||
2 | エルザ | 1876-1936 | 1897 | アルプレヒト | 1869-1942 | シャウムブルク=リッペ侯家の分家 | ドイツ諸侯 |
3 | オルガ | 1876-1932 | 1898 | マクシミリアン | 1871-1904 | 上の弟 | ドイツ諸侯 |
ヴュルテンベルク(ドイツ)貴族オイゲン・エルドマンの第二子(長男)。ルター派。
最後のヴュルテンベルク公にして最初のヴュルテンベルク王となったフリードリヒ2世/1世(1754-1816)には7人の弟と3人の妹がいた(妹のひとりがマリーヤ・フョードロヴナ)。ルートヴィヒ(1756-1817)の系統は貴賤結婚の結果テック公位をもらい、イギリスに帰化している。ヴィルヘルム(1761-1830)の系統も同じく、ウーラハ公位をもらった。フェールディナント(1763-1834)、カール(1770-91)、ハインリヒ(1772-1838)には子がなく、系統は途絶えている。アレクサンダー(1771-1833)の系統が、現在のヴュルテンベルク王家である。
オイゲン(1758-1822)はシュレージエンにあった飛び地を領土としてもらい、カールスルーエに住んだ。その曾孫がヴィルヘルム・オイゲンである。
テュービンゲン大学に学び、ヴュルテンベルク軍に勤務。1866年の普墺戦争、1870年の普仏戦争に従軍した。なお、この間の4年間はパリに住んでいる。1874年に少佐となる。
1876年、ヴェストファーレン軽騎兵連隊に赴任し、デュッセルドルフへ。落馬事故で死去。ただし実際には決闘で命を落としたものらしい。
シュレージエン系ヴュルテンベルク公家はかれの死で断絶。