ヴァルヴァーラ・ミハイロヴナ・アルセーニエヴァ
Варвара Михайловна Арсеньева
生:1676
没:1729(享年53?)
父:ミハイール・アファナーシエヴィチ・アルセーニエフ
母:
愛人:皇帝ピョートル1世・アレクセーエヴィチ 1672-1725
結婚:なし
子:なし
モスクワの宮廷貴族。正教徒。
伝承によると、アルセーニエフ家の祖はキプチャク・ハーン国出身のタタール人。1389年にモスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイに仕えるようになったという。その長男アルセーニイがアルセーニエフ家の初代となった。その後所領も増やして大貴族として活躍したが、ボヤーリンの称号を得た者はいない。ミハイール・アファナーシエヴィチのように、地方総督が限界だった。
ヴァルヴァーラとダーリヤの姉妹は、早くからピョートル大帝のお気に入りとなる。1694年に父がヤクーツク総督に任命されたのも、あるいはそのためかもしれない。
もっとも、ピョートル大帝がその生涯において愛した女性は、せいぜいアンナ・モンスとエカテリーナ・アレクセーエヴナだけではないかと思われる(ヴァルヴァーラ・アルセーニエヴァを愛人とした時にはすでにアンナ・モンスと関係があった)。その他の女性は一夜限りの関係であったり、せいぜい飲み仲間、遊び仲間のたぐいだっただろう。ピョートル大帝がヴァルヴァーラとダーリヤの姉妹をアレクサンドル・メーンシコフ公と «共有» していたとはよく言われる。
ヴァルヴァーラ・アルセーニエヴァは不美人であったと言われるが、しかしその知性と教養でピョートル大帝に寵愛されたらしい。愛人と言うよりは、話相手として気に入られたということかもしれない。
1706年、ダーリヤ・アルセーニエヴァがアレクサンドル・メーンシコフ公と結婚。アレクサンドル・メーンシコフ公はツァーリの親族になるため、ピョートル大帝をヴァルヴァーラ・アルセーニエヴァと結婚させようと画策した。しかしすでにエカテリーナ・アレクセーエヴナを見つけていたピョートル大帝にその気はなかった。
結局、ピョートル大帝はエカテリーナ・アレクセーエヴナと再婚し、ヴァルヴァーラ・アルセーニエヴァ自身は結婚しなかった。
ヴァルヴァーラ・アルセーニエヴァはツァリーツァとなったエカテリーナ・アレクセーエヴナの女官となり、仲良くなったらしい。
アレクサンドル・メーンシコフ公の義姉であり、エカテリーナ・アレクセーエヴナとも親しかったため、ピョートル大帝の死後も羽振りが良かった。
しかし1727年にエカテリーナ・アレクセーエヴナが死に、1728年にアレクサンドル・メーンシコフ公が失脚しシベリアに流刑されると、ヴァルヴァーラ・アルセーニエヴァも後ろ盾を失う。
白海地方の修道院に入れられ、そこで没した。
なお、アルセーニエフ家はその後も中堅どころの貴族として帝政の終焉まで軍人、地方総督、中央官僚などを歴任したが、名を挙げた人物はいない。