パーヴェル・ドミートリエヴィチ・ロマーノフスキイ=イリインスキイ
Павел Дмитрьевич Романовский-Ильинский, Paul R. Ilyinsky
ロマーノフスキイ=イリインスキイ公 князь Романовский-Ильинский
生:1928.01.27−ロンドン(イギリス)
没:2004.02.10(享年76)−パーム・ビーチ(フロリダ、アメリカ)
父:ドミートリイ・パーヴロヴィチ大公 1891-1942 (パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公)
母:オードリー 1904-71 (ジョン・ジョサイア・エメリ)
結婚①:1949−ホノルル(1952離婚)
& メアリ・イヴリン 1925- (ウィリアム・プリンス)
結婚②:1952−パーム・ビーチ
& アンジェリカ 1932- (フィリップ・カウフマン)
結婚③?
& メアリ・メンフィス
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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アンジェリカ・カウフマンと | |||||||
1 | ディミトリ | 1954- | 1979 | マーサ | 1952- | テッド・アーヴィン・マクドウェル | アメリカ人 |
2 | ポーラ・マリー | 1956- | 1980 | マーク・アレン・コミサー | 1953- | アメリカ人 | |
3 | アンナ | 1959- | 1981 | ロビン・デイル・デ・ヤング | 1952- | アメリカ人 | |
1992 | デイヴィド・ワイズ・グロシンガー | 1953- | アメリカ人 | ||||
4 | マイクル | 1960- | 1986 | メアリ・ラヴ | アメリカ人 | ||
1989 | ポーラ | 1965- | ジャック・クレイグ・メイアー | アメリカ人 | |||
1999 | リサ・マリー・シースラー | 1973- | アメリカ人 |
ドミートリイ・パーヴロヴィチ大公の唯一の子。
1926年、両親の結婚に際して、キリール・ヴラディーミロヴィチ大公は母にロマーノフスカヤ=イリインスカヤ公妃 светлейшая княгиня Романовская-Ильинская の称号を贈った。母は平民だったので、大公妃を名乗れなかったためである。
パーヴェル・ドミートリエヴィチも、貴賎結婚から生まれた子として、ロマーノフの姓を名乗ることができなかった。母から継いだロマーノフスキイ=イリインスキイが法的な姓。ちなみに称号には関心がなかったのか、ほとんど公とは名乗らなかった。
法的には1992年以降はホルシュタイン=ゴットルプ公であったが、これまたパーヴェルは主張したこともない。
通常は英語でポール・R・イリインスキイ Paul R. Ilyinsky と名乗っていた。
ホルシュタイン=ゴットルプ公位の継承はいわゆるサリカ法に基づいている。つまり、一切の女系相続を許さず、厳密に長子相続の原則に従う。そのため、1992年にヴラディーミル・キリーロヴィチ公が死んだ後は、理論的にはポール・イリインスキイが公位を継ぐことになった。
1937年、両親が離婚。同年、母はグルジア貴族のドミートリイ・ジョルジャーゼ公(自動車レースで有名)と再婚(のち離婚)。ポールは母によりフランスで育てられた。
サンドハーストのイギリス陸軍学校で学び、アメリカ海兵隊に入隊。朝鮮戦争にも従軍し、中佐。
1953年、ヴァージニア大学を卒業。
その後はシンシナティの母方の企業で働く。
2人目の妻アンジェリカは結婚に際して正教に改宗している。子供たちも正教徒として育てられた。
1980年、パーム・ビーチへ。市長を3期務めた。1999年、引退。ちなみに共和党員。
ソ連崩壊後、一部ではポールをロシアの皇位継承者として迎えようという動きもあったらしいが、ポールはそれを断ったという。