ニーナ・ゲオルギエヴナ
Нина Георгиевна
公女 княжна императорской крови
公妃 княгиня (1922-)
生:1901.06.07/06.20−ミハイロフスコエ
没:1974.02.27(享年72)−Hyannis(マサチューセッツ州、アメリカ)
父:ゲオルギイ・ミハイロヴィチ大公 1863-1919 (ミハイール・ニコラーエヴィチ大公)
母:マリーヤ・ゲオルギエヴナ大公妃 1876-1940 (ギリシャ王ゲオルギオス1世 & オリガ・コンスタンティーノヴナ大公女)
結婚:1922−ロンドン
& パーヴェル・アレクサンドロヴィチ・チャフチャヴァーゼ公 1899-1971
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
パーヴェル・チャフチャヴァーゼと | |||||||
1 | ダヴィド公 | 1924- | ? | ||||
? | |||||||
? |
ミハイロヴィチ。ゲオルギイ・ミハイロヴィチ大公の第一子(長女)。
皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの又従姉妹。ギリシャ王ゲオルギオス2世(1890-1947)、アレクサンドロス1世(1893-1920)、パウロス1世(1901-64)の従姉妹。
幼少時はミハイロフスコエで過ごすが、1905年に一家を挙げてクリミアへ。
ニーナ・ゲオルギエヴナ公女も妹のクセーニヤ・ゲオルギエヴナ公女もともに、皇帝ニコライ2世の下の娘たちともしばしば一緒に遊んだ(もっともその末娘アナスタシーヤ・ニコラーエヴナ大公女のことは姉妹ともに嫌っていたようだが)。
1914年、第一次世界大戦勃発の直前に母に伴われてイギリスへ。戦争と革命により、二度と再び祖国の土を踏むことはなかった。
同時に、父とも二度と会うことがなかった。ニーナ・ゲオルギエヴナ公女と妹のクセーニヤ・ゲオルギエヴナ公女は父に可愛がられ、そのため父と不仲だった母とは疎遠だったとも言われる。
グルジア貴族のチャフチャヴァーゼ公と結婚。40年前に父が身分違い故に結婚を許されなかったチャフチャヴァーゼ公とニーナ・ゲオルギエヴナ公女が結婚したというのも歴史の皮肉かもしれない。
1927年、アメリカに渡る。以後、ニューヨーク、次いでマサチューセッツに居住。