ナデージュダ・ペトローヴナ
Надежда Петровна
公女 княжна императорской крови
公妃 княгиня (1917-47)
生:1898.03.03/03.15−サンクト・ペテルブルグ
没:1988.04.21(享年90)−シャンティイ(フランス)
父:ピョートル・ペトローヴィチ大公 1864-1931 (ニコライ・ニコラーエヴィチ «スタールシー» 大公)
母:ミリツァ・ニコラーエヴナ大公妃 1866-1951 (モンテネグロ王ニコラ1世)
婚約:1914
& オレーグ・コンスタンティーノヴィチ公 1892-1914 (コンスタンティーン・コンスタンティーノヴィチ大公)
結婚:1917−クリミア(1947離婚)
& ニコライ・ヴラディーミロヴィチ公 1893-1961 (ヴラディーミル・ニコラーエヴィチ・オルローフ公)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ニコライ・オルローフ公と | |||||||
1 | イリーナ | 1918-89 | |||||
2 | クセーニヤ | 1921-63 |
ニコラーエヴィチ。ピョートル・ニコラーエヴィチ大公の第三子(次女)。双子の姉妹にソフィヤ・ペトローヴナ公女がいたが、ソフィヤ・ペトローヴナ公女の方は誕生直後に死去。
皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの又従姉妹。
肺結核を患っていた父がしばしば外国やクリミアで静養したため、ナデージュダ・ペトローヴナ公女も母や兄姉とともに外国やクリミアで幼少期を過ごす。
第一次世界大戦勃発の直前、又従兄弟オレーグ・コンスタンティーノヴィチ公と婚約。残念ながらオレーグ・コンスタンティーノヴィチ公は戦争勃発直後に戦死(戦死した唯一のロマーノフ)。
二月革命後、家族とともにクリミアの父の所領へ。そこでニコライ・オルローフ公と貴賎結婚(当然皇帝の承認を得ていない)。以後、両親や伯父夫婦たちと行動を共にする。
革命後のロマーノフはそれまでとは人種が違うのかと思うほどみな長生きしたが(やはりサンクト・ペテルブルグの気候が悪かったのか)、ナデージュダ・ペトローヴナ公女はロマーノフとしての最長寿記録を更新した(すぐにヴェーラ・コンスタンティーノヴナ公女に書き換えられた)。