マリーヤ・ニコラーエヴナ
Мария Николаевна
大公女 великая княжна
ロイヒテンベルク公妃 Herzogin von Leuchtenberg (1839-)
生:1819.08.06/08.18−パーヴロフスク
没:1876.02.09/02.21(享年56)−サンクト・ペテルブルグ
父:皇帝ニコライ1世・パーヴロヴィチ 1796-1855
母:皇妃アレクサンドラ・フョードロヴナ 1798-1860 (プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)
結婚①:1839−サンクト・ペテルブルグ
& ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボーアルネ 1817-52 (イタリア副王ウジェーヌ・ド・ボーアルネ)
結婚②:1854−サンクト・ペテルブルグ
& グリゴーリイ・アレクサンドロヴィチ伯 1824-78 (アレクサンドル・グリゴーリエヴィチ・ストローガノフ伯)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ロイヒテンベルク公と | |||||||
1 | アレクサンドラ | 1840-43 | − | ||||
2 | マリー/マリーヤ | 1841-1914 | 1863 | ヴィルヘルム | 1829-97 | バーデン大公レーオポルト1世 | ドイツ諸侯 |
3 | ニコラ/ニコライ | 1843-90 | 1878 | ナデージュダ | 1840-91 | セルゲイ・ペトローヴィチ・アンネンコフ | ロシア貴族 |
4 | ウジェニー/エヴゲーニヤ | 1845-1925 | 1868 | アレクサンダー | 1844-1932 | ピョートル・ゲオルギエヴィチ・オリデンブルクスキイ | ドイツ諸侯 |
5 | ウジェーヌ/エヴゲーニイ | 1847-1901 | 1869 | ダーリヤ | 1845-70 | コンスタンティーン・フョードロヴィチ・オポチーニン | ロシア貴族 |
1878 | ジナイーダ | 1856-99 | ドミートリイ・スコーベレフ | ロシア貴族 | |||
6 | セルジュ/セルゲイ | 1849-77 | − | ||||
7 | ジョルジュ/ゲオルギイ | 1852-1912 | 1879 | テレーゼ | 1852-83 | ピョートル・ゲオルギエヴィチ・オリデンブルクスキイ | ドイツ諸侯 |
1889 | スタナ | 1868-1935 | モンテネグロ王ニコラ1世 | ||||
ストローガノフ伯と | |||||||
1 | グリゴーリイ | 1857-59 | − | ||||
2 | エレーナ | 1861-1908 | グリゴーリイ | 1861-1908 | ニキータ・ミラシェーヴィチ | ||
3 | マリーヤ | ヴラディーミル | 1847-93 | アレクセイ・シェレメーテフ | ロシア貴族 |
皇帝ニコライ1世・パーヴロヴィチの第二子(長女)。
皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチの妹。ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世(1797-1888)の姪。
1837年、軍事演習のためサンクト・ペテルブルグを訪問したマクシミリアン・ド・ボーアルネと初めて出会う。1838年、マクシミリアンは再度サンクト・ペテルブルグを訪問。ふたりは恋に堕ちたという。
しかしマクシミリアンとマリーヤ・ニコラーエヴナ大公女との結婚は、決してロマーノフ家として望ましいものではなかった。マクシミリアンがナポレオンにつらなる一族であること(父ウジェーヌはナポレオンの妃ジョゼフィーヌの子)、カトリックであること、君主の家系ではないこと(貴賎結婚に当たる)、などが理由として挙げられる。
しかし最終的にはニコライ1世も折れて、マクシミリアンとマリーヤ・ニコラーエヴナ大公女は結婚した。ただし、ふたりがサンクト・ペテルブルグに居を構えたのがニコライ1世の要望なのかマリーヤ・ニコラーエヴナ大公女の希望なのかについては、両説あってはっきりしない(ふたりとも望んでいたのかもしれない)。
ふたりの住居は1844年に完成したマリインスキイ宮殿。
ちなみに、マクシミリアンはカトリックに、マリーヤ・ニコラーエヴナ大公女は正教徒にとどまったが、ふたりの子供たちは正教徒として育てられた。子供たちは皇室メンバーとして認められ、ロマーノフスキイ公 князь Романовский の姓と称号を帯びることが許された。
マクシミリアンとマリーヤ・ニコラーエヴナ大公女はともに芸術に関心が深く、マクシミリアンは芸術アカデミー総裁に任じられている(1843-52)。
1852年、マクシミリアンが死去。マリーヤ・ニコラーエヴナ大公女は夫を継いで芸術アカデミー総裁に就任した(1852-76)。
1854年、ストローガノフ伯との結婚は貴賎結婚であり、父には秘密だった。父が死んだ後も秘密は保たれ、マリーヤ・ニコラーエヴナ大公女とグリゴーリイ・ストローガノフ伯との結婚は、一部の皇族が知っていただけで、公にはされなかった。
一部の人間は、マクシミリアンの生前からふたりの関係は始まっていたと言う。
1862年、フィレンツェに居を構え、美術品蒐集。
父と兄アレクサンドル2世から多額の年金をもらっていたが、死後は多額の借金を遺した。このため1884年、ロイヒテンベルク兄弟はマリインスキイ宮殿を売却した。