イリーナ・パーヴロヴナ・パーレイ
Ирина Павловна Палей
ホーエンフェルゼン伯女 Prinzessin von Hohenfelsen
パーレイ公女 княжна Палей (1915-)
公妃 княгиня (1923-36)
生:1903.12.08/12.21−パリ(フランス)
没:1990.11.15(享年86)−ビアリッツ(フランス)
父:パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公 1860-1919 (皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチ)
母:オリガ・ヴァレリヤーノヴナ・パーレイ公妃 1866-1929 (ヴァレリヤーン・グリゴーリエヴィチ・カルノーヴィチ)
結婚①:1923−パリ(1936離婚)
& フョードル・アレクサンドロヴィチ公 1898-1968 (アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公)
結婚②:1950
& ユベール・モンブリソン 1892-1981
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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フョードル・アレクサンドロヴィチ公と | |||||||
1 | ミハイール | 1924-2008 | 1958 | ヘルガ | 1926- | ルートヴィヒ・シュタウフェンベルガー | オーストリア人 |
2 | イリーナ | 1934- | 1955 | アンドレ=ジャン・ベル | 1923- | フランス人 | |
1962 | ヴィクトール・マルセル・スーラ | 1939- | フランス人 |
パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公とオリガ・カルノーヴィチとの第二子(長女)。
皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの従姉妹。
ロマーノフ家の家法に従えば両親の結婚は貴賎結婚。このため、イリーナ・パーヴロヴナ誕生当時、父は国外追放処分を受けており、イリーナ・パーヴロヴナも両親とともにパリで生まれ育った。
またこのため、イリーナ・パーヴロヴナはロマーノフ一族として認められず、母の称号ホーエンフェルゼン伯女を継いだ。
1914年、第一次世界大戦の勃発で父の帰国が許され、イリーナ・パーヴロヴナもロシアへ。パーレイの姓と公女の称号を与えられた。
革命後、当時病気で臥せっていた父はしばらく処分を免れていたが、1918年には逮捕され、1919年初頭に処刑された。イリーナ・パーヴロヴナ公女は妹ナターリヤ・パーヴロヴナ公女とともにフィンランドに出国。
その後母と合流し、生まれ育った故郷フランスに亡命した。
1930年頃からユベール・モンブリソンとの関係を始め、長女イリーナ・フョードロヴナ公女はユベールの子と言われる。