エリザヴェータ・ミハイロヴナ
Елизавета Михайловна, Elisabeth Michailowna
大公女 великая княжна
ナッサウ公妃 Herzogin von Nassau (1844-)
生:1826.05.26/06.07−モスクワ
没:1845.01.28/02.09(享年18)−ヴィスバーデン(ナッサウ、ドイツ)
父:ミハイール・パーヴロヴィチ大公 1798-1849 (皇帝パーヴェル・ペトローヴィチ)
母:エレーナ・パーヴロヴナ大公妃 1807-73 (ヴュルテンベルク王子パウル)
結婚:1844−サンクト・ペテルブルグ
& アードルフ 1817-1905 ナッサウ公(1839-66)& ルクセンブルク大公(1890-1905)
子:なし
ミハイール・パーヴロヴィチ大公の第二子(次女)。
皇帝ニコライ1世・パーヴロヴィチの姪。
数日前に死去した皇妃エリザヴェータ・アレクセーエヴナにちなんで名づけられたという。家庭内では «リリ Lili» と呼ばれた。
1843年、サンクト・ペテルブルグを訪問していたアードルフに見初められ、結婚。結婚式は従姉妹アレクサンドラ・ニコラーエヴナ大公女の結婚式と同時であり、ふたつの結婚式は盛大に祝われた(ちなみにふたりとも正教徒のまま)。
結婚後、エリザヴェータ・ミハイロヴナ大公女は夫とともにナッサウ公領の首都ヴィスバーデンへ。
しかしふたりの花嫁の結婚生活はともに短期に終わることになった。アレクサンドラ・ニコラーエヴナ大公女は結婚後半年で、エリザヴェータ・ミハイロヴナ大公女もちょうど1年で、いずれも子供を産み落として死去。子供もすぐに息を引き取ったのも共通していた。
生来病弱で結婚もせずに療養していた姉マリーヤ・ミハイロヴナ大公女よりも先にエリザヴェータ・ミハイロヴナ大公女が逝ったのも悲しい皮肉である。
アードルフはヴィスバーデン市内に正教の教会(聖エリーザベト教会)を建て、エリザヴェータ・ミハイロヴナ大公女を葬った。