エカテリーナ・アレクセーエヴナ
Екатерина Алексеевна
ツァレーヴナ царевна
生:1658.11.27/12.07−モスクワ
没:1718.05.01/05.12(享年59)−モスクワ
父:ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチ 1629-76
母:ツァリーツァ・マリーヤ・イリイーニチナ 1625-69 (イリヤー・ダニーロヴィチ・ミロスラーフスキイ)
結婚:なし
子:なし
ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチの第七子(五女)。
ツァーリ・フョードル3世・アレクセーエヴィチ、イヴァン5世・アレクセーエヴィチの同母姉で、皇帝ピョートル1世・アレクセーエヴィチの異母姉。
当時のロマーノフ家の女性たちは生涯をテレムノーイ宮殿の奥深くで送り、表舞台には現れないのが一般的だった。エカテリーナ・アレクセーエヴナも政治にはまったく口出しせず、姉妹たちがしばしばトラブルに陥ったピョートル1世との関係も、終始良好だった。
ピョートル1世の愛人マルファ・スカヴロンスカヤが正教に改宗した際は、教母を務めている(ちなみに教父を務めたのは皇太子アレクセイ・ペトローヴィチ)。マルファ・スカヴロンスカヤが正教徒としてエカテリーナを名乗ったのは、彼女にちなんだものだとも言われている。
宮廷がサンクト・ペテルブルグに移った後もモスクワにとどまり、姉エヴドキーヤ・アレクセーエヴナと同じくノヴォデーヴィチイ修道院で修道女となった。
ノヴォデーヴィチイ修道院に埋葬されている。