アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ(アレクサンドラ)
Αλεξάνδρα, Александра Георгиевна
ギリシャ&デンマーク王女 Πριγκίττισσα της Ελλάδας και της Δανίας
大公妃 великая княгиня (1889-)
生:1870.08.18/08.30−コルフ(ギリシャ)
没:1891.09.12/09.24(享年21)−イリインスコエ(モスクワ郊外)
父:ゲオルギオス1世 1845-1913 ギリシャ王(1863-1913)
母:オリガ・コンスタンティーノヴナ大公女 1851-1926 (コンスタンティーン・ニコラーエヴィチ大公)
結婚:1889−サンクト・ペテルブルグ
& パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公 1860-1919 (皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチ)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公と | |||||||
1 | マリーヤ | 1890-1958 | 1908 | セデルマンランド公ヴィルヘルム | 1884-1965 | スウェーデン王グスタフ5世 | 君主 |
1917 | セルゲイ公 | 1893-1968 | ミハイール・セルゲーエヴィチ・プテャーティン公 | リューリコヴィチ | |||
2 | ドミートリイ | 1891-1942 | 1926 | オードリー | 1904-71 | ジョン・エメリ | アメリカ人 |
ギリシャ王ゲオルギオス1世と王妃オリガ・コンスタンティーノヴナ大公女の第三子(長女)。正教徒。
長兄はギリシャ王コンスタンティノス1世(1868-1923)、妹はマリーヤ・ゲオルギエヴナ大公妃、弟嫁はエレーナ・ヴラディーミロヴナ大公女、従兄弟はデンマーク王クリスティアン10世(1870-1947)、ノルウェー王ホーコン7世(1872-1957)、又従兄弟は皇帝ニコライ2世(1868-1918)。
幼少から呼吸器系の障害を抱えていたパーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公は、アテネの従姉妹オリガ・コンスタンティーノヴナ大公妃のもとでしばしば過ごしており、またギリシャ王家もしばしばロシアを訪問していたので、アレクサンドラ王女と10歳年長のパーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公とは幼い頃からの知り合いだった。
結婚相手が «幼馴染» で、しかも正教徒として生まれ育ったアレクサンドラ王女には結婚に際してほかの大公妃たちのように改宗する必要もなく、そういう意味で恵まれた結婚であったと言えるだろう。結婚後も、パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公とアレクサンドラ・ゲオルギエヴナ大公妃は仲睦まじかった。
アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ大公女は、義兄セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公とその妻エリザヴェータ・フョードロヴナ大公妃とも仲良くなった。もともとパーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公も兄夫婦と緊密だったこともあり、二組の夫婦は多くの時間をともに、セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の所領イリインスコエで過ごした。
1891年の初秋も、アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ大公妃は夫とイリインスコエで過ごしていた。しかし妊娠7ヶ月のアレクサンドラ・ゲオルギエヴナ大公妃は、モスクワ川に浮かぶボートに乗ろうとして足を滑らせてしまう。その時は何もなかったようだが、翌日陣痛で昏倒してしまう。ドミートリイ・パーヴロヴィチ大公は生まれるが、アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ大公妃は意識不明に陥り、6日後に死去した。
パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公は悲嘆に暮れ、ドミートリイ・パーヴロヴィチ大公もセルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公が当初面倒を看ていた。
ペトロパーヴロフスキイ大聖堂に埋葬された。