アレクサンドル・セミョーノヴィチ・ヴァシーリチコフ
Александр Семенович Васильчиков
生:1746
没:1813(享年67?)
父:セミョーン・グリゴーリエヴィチ・ヴァシーリチコフ
母:マリーヤ・ボグダーノヴナ・ジャドフスカヤ
愛人:女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナ 1729-96
結婚:?
子:?
モスクワの下級貴族。正教徒。
女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナの4人目の愛人。
ヴァシーリチコフ家は、伝承によると、14世紀にドイツからチェルニーゴフにやって来たとのこと。モスクワの勢力拡大に伴ってモスクワ大公に仕えるようになる。
祖先にはイヴァン雷帝の妃アンナ・グリゴーリエヴナ・ヴァシーリチコヴァがいる。彼女は2年で修道院に追いやられたが、それでヴァシーリチコフ一族が地位や権力を失うということはなかった。かと言って、失うほどの地位も権力も持っていなかったのだが(一族でボヤーリンとなった者はひとりもいない)。
アレクサンドル・ヴァシーリチコフは騎兵将校。
1772年頃、グリゴーリイ・オルローフがお払い箱となった後釜として、エカテリーナ2世の4番めの愛人となる。
しかし早くも1774年には、グリゴーリイ・ポテョームキンに取って代わられる。
アレクサンドル・ヴァシーリチコフは善良であったとされ、政治にも口出しをしなかった。しかしエカテリーナ2世に言わせれば「この上なく退屈な人」だったそうで、彼女の期待するほど知性も教養もなかったということなのだろう。