アレクサンドル・マトヴェーエヴィチ・ドミートリエフ=マモーノフ
Александр Матвеевич Дмитрьев-Мамонов
伯 Reichsgraf (1788-)
生:1758.09.19/09.30
没:1803.09.29/10.09(享年45)−モスクワ
父:マトヴェイ・ヴァシーリエヴィチ・ドミートリエフ=マモーノフ 1724-1810
母:アンナ・イヴァーノヴナ・ボボルィキナ 1723-92
愛人:女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナ 1729-96
結婚:1789
& ダーリヤ・フョードロヴナ公女 1762-1801 (フョードル・フョードロヴィチ・シチェルバートフ公)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ダーリヤ・フョードロヴナと | |||||||
マトヴェイ | 1790-1863 | ||||||
マリーヤ | -1857 | ||||||
フョードル | |||||||
アンナ |
リューリコヴィチ。正教徒。
女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナの11人目の愛人。
イヴァン・イリイーチの遠い親族。父は元老院議員。
早くから軍人となり、グリゴーリイ・ポテョームキン公に仕えるようになる。
1784年か1786年、グリゴーリイ・ポテョームキン公によりエカテリーナ2世の愛人に推挙された。
1787年、クリミア旅行の際にかれと会った神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は、かれについてこんなことを言っている「Новый фаворит довольно красивый малый, но он умом недалек.(新しい寵臣はなかなかに美しい子供だが、智慧の面では愚かだ)」(オリジナルは当然ドイツ語)。にもかかわらず1788年、ヨーゼフ2世はかれに神聖ローマ帝国の伯の称号を与えた。
1789年、ダーリヤ・シチェルバートヴァ公女と恋に陥ちたアレクサンドル・ドミートリエフ=マモーノフは、エカテリーナ2世の許しを得て彼女と結婚。モスクワへ。妻と共に、モスクワのドンスコーイ修道院に埋葬されている。
1797年、皇帝パーヴェル・ペトローヴィチにより、ドミートリエフ=マモーノフ家は伯家とされる。ただし息子マトヴェイ・アレクサンドロヴィチ伯の死で伯家は断絶。