ヴィッテルスバハ家は南西ドイツの名門で、1180年よりバイエルン公、1214年よりプファルツ選帝侯として連綿と続いている。14世紀にはふたりの神聖ローマ皇帝(ドイツ王)を輩出し、ハプスブルク家ではなくヴィッテルスバハ家が皇帝家となる可能性もなかったわけではない。
複数の系統に分裂した点ではほかのドイツ諸侯と一緒。
カトリックのバイエルン系は南西ドイツにおけるカトリックの雄として活躍し、三十年戦争では選帝侯位を獲得した。1777年、断絶。
婚姻相手はハプスブルク家、ブルボン家など、カトリックが中心で、ロマーノフ家との接点はほとんどない。
宗教改革の際にカルヴァン派となったプファルツ系は幾多の分家に分裂し、カルマル連合の王、ボヘミア王、スウェーデン王、その他を輩出。
18世紀末までにヴィッテルスバハ家の諸分家はことごとく断絶し、プファルツ=ツヴァイブリュッケン系がヴィッテルスバハ家領のほぼすべてを500年ぶりに統一(すでにカトリックに改宗していた)。1806年、ナポレオンにより王国に格上げされる。
1871年、ドイツ帝国に統合され(帝国内の王国として存続)、1918年、王制が廃止。
ドイツ史的にはボヘミア王となり、三十年戦争の «きっかけ» となったプファルツ選帝侯フリードリヒ5世が有名だろうが、ロシア史的には何と言ってもカール12世を筆頭とする3代のスウェーデン王が関係が深い。
カール12世の姉がホルシュタイン=ゴットルプ公フリードリヒ4世の妃となっており、その孫がピョートル3世である。つまり、ピョートル3世以降のロマーノフ家はヴィッテルスバハ家から直接つながる子孫だということになる。
ただし、ヴィッテルスバハ家にはロマーノフ家の血は流れていない。
ちなみに、ノイシュヴァンシュタイン城やヴァーグナーで有名なルートヴィヒ2世は皇帝アレクサンドル2世の又従兄弟。お互いの母親が従姉妹だったわけだ。
オーストリア皇妃エリーザベト(«シシ»)は、アレクサンドル2世の妃マリーヤ・アレクサンドロヴナの又々従姉妹。
どちらにしても非常に疎遠な関係で、ロマーノフ家とバイエルン王家には行き来はなかった。
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赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はヴィッテルスバハ家。赤紫枠は女性。