ロマーノフ家とホーエンツォレルン家

ホーエンツォレルン家はシュヴァーベン(南西ドイツ)出身の家系。11世紀にツォレルン伯を名乗ったブルクハルト(ブルヒャルト)を始祖とする。12世紀末にニュールンベルク城伯位を継承し、ツォレルンを継いだ本家(シュヴァーベン系)とニュールンベルクを継いだ分家(フランケン系)とに分裂した。

フランケン系

 フランケン系2代のニュールンベルク城伯フリードリヒ5世は、ドイツ王選出の報せをハプスブルク伯ルードルフ4世に伝えた功績でバイロイトを獲得。以後フランケンに領土を拡大していき(のちこれらの領土はヴィッテルスバハ家に譲られる)、15世紀にはアスカニア家に代わってブランデンブルク選帝侯となる。16世紀以来プロテスタント。
 17世紀にはプロイセン、ポンメルン、クレーフェなどを獲得し、特にフリードリヒ・ヴィルヘルム «大選帝侯» の下で北東ドイツの雄となる。その子フリードリヒ3世が1701年にはプロイセン王となって、さらにその孫フリードリヒ大王の治世にヨーロッパ列強の仲間入りを果たす。
 ヴィーン会議でラインラントなどに広大な領土を獲得。ハプスブルク家のオーストリアと、ドイツ統一の盟主の座を争う。1866年に普墺戦争でオーストリアを破ると、普仏戦争に勝利し、1871年、ドイツ諸領邦を統合してドイツ帝国を建国。ドイツ皇帝となる。1918年、帝政は崩壊。

 現在ロマーノフを名乗る人間は、全員ホーエンツォレルン家の血も引いている。
 他方、ドイツ皇帝家もまた全員ロマーノフ家の血を引いている(ただしそれ以前の分家はその限りではない)。

 以下、スタイルシートで家系図を示す。環境次第では(正確に)表示されない。悪しからず。(正確に)表示されない場合はこちらの画像を。
 赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はホーエンツォレルン家。赤紫枠は女性。

プロイセン王
フリードリヒ・
ヴィルヘルム3世
エレーナ
マリーヤ
ザクセン=
ヴァイマール大公
カール・フリードリヒ
ニコライ1世
シャルロッテ
アレクサンドリーネ
メクレンブルク=シュヴェリーン大公パウル・フリードリヒ
イギリス女王ヴィクトリア
ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世
アウグスタ
マリーア
カール
アレクサンドル2世
ミハイール
大公フリードリヒ・フランツ2世
アリス
ヴィクトリア
皇帝フリードリヒ3世
アレクサンドル3世
ヴラディーミル
アナスタシーヤ
大公フリードリヒ・フランツ3世
皇帝ヴィルヘルム2世
ニコライ2世
アリックス
キリール
ツェツィーリア
皇太子ヴィルヘルム
ヨーアヒム
イレーネ
ハインリヒ
ヴラディーミル
キーラ
ルイ・フェールディナント
フランツ・ヨーゼフ
マリーヤ
フランツ・ヴィルヘルム
ゲオルギー

シュヴァーベン系

 シュヴァーベン系はホーエンツォレルン侯として19世紀まで細々と続いていたが、19世紀にフランケン系の «引き» で陽の目を見る。1866年、プロイセンとの結びつきを強めたいルーマニア諸侯に招かれ分家がルーマニア王に。1947年、国民投票で王制が廃止される。
 なお、1870年にスペイン王家に推されたことが、普仏戦争の引き金になっている。

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 赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はホーエンツォレルン家。赤紫枠は女性。

ニコライ1世
アレクサンドル2世
コンスタンティーン
ヴラディーミル
マリーヤ
エディンバラ公アルフレッド
オリガ
キリール
ヴィルヘルム
ルーマニア王フェルディナンド1世
メアリ
ギリシャ王コンスタンティノス1世
マリーヤ
フリードリヒ・ヴィクトル
王カロル2世
ヘレネー
マルガリータ
フリードリヒ・ヴィルヘルム
王ミハイ1世

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