ヘッセン家の祖はネーデルラント(現ベネルクス)出身の、9世紀にさかのぼる古い家柄である。13世紀に中部ドイツのテューリンゲンに領土を獲得し、分家としてヘッセン方伯家が誕生した(ヘッセン家以外は断絶している)。
16世紀のフィリップ1世・デア・グロスミューティゲはザクセン選帝侯とともにルター派の領袖として活躍した。その子から幾多の家系に分裂しているが、大きくはカッセル系とダルムシュタット系に分けられる。
ヘッセン=カッセル方伯系は、さらにヘッセン=ラインフェルス方伯家、ヘッセン=フィリップスタール方伯家、ヘッセン=ルンペンハイム方伯家などに分かれながら、ナポレオンによって選帝侯とされる。以後、もはや選挙すべき皇帝のいないドイツで唯一の選帝侯として生き残った。国民を傭兵として貸し出して宮廷費を賄ったことで有名。
1866年、プロイセンに併合される。ヘッセン=カッセル選帝侯家は現在断絶。ルンペンハイム系とフィリップスタール系が存続している。
ヘッセン=ダルムシュタット方伯家は、ロマーノフ家とのつながりもあってナポレオンによって領土を大幅に拡張し、大公に格上げされる。現在断絶。
分家のヘッセン=ホンブルク方伯家は、1866年にプロイセンに併合される。現在断絶。
もうひとつの分家バッテンベルク侯家では、皇帝アレクサンドル2世の妃マリーヤ・アレクサンドロヴナの甥アレクサンダーが、そのつながりからブルガリア公に推された。しかしすぐに公位を失う。その兄弟はイギリス人となって家名をマウントバッテン(バッテンベルクを英訳したもの)と改名。エリザベス2世の夫君エディンバラ公フィリップがマウントバッテンを名乗るのは、母方の姓。
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赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はヘッセン家。オレンジ枠は外国の君主。赤紫枠は女性。