ロシア用語の基礎知識:ケ

ゲー ニコライ
1831-94。画家。肖像画や歴史画、宗教画で知られる。名高いのはトルストーイの肖像画と、『ツァレーヴィチ・アレクセイを詰問するピョートル1世』であろう。
ケインブリッジ文書
«シェフター書簡» とも呼ばれる。ハザール人自身の手になる文献として著名。古代ヘブライ語で書かれている。筆者は不明だが(コンスタンティノープルにいた)、宛て先はハスダイ・イブン・シャプルートと考えられている(ただし書簡自体はカイロで発見された)。これによると、アルメニアの弾圧を逃れたユダヤ人がハザール帝国に亡命し、その血を引くサブリエルなる人物がハザールの王になり、ユダヤ教に改宗。こうしてハザールはユダヤ教徒となった。
ゲラシモフ ゲンナーディー
1930-。ジャーナリスト。ムギモ出身のジャーナリストで、アンドローポフのブレーンを務めたこともある。外務省情報局長(1986-90)として、新思考外交の宣伝マンを務めた。ブレージュネフ・ドクトリンに対比してかれが用いた «シナトラ・ドクトリン» は有名。
ケルン アンナ
1800-79。おそらくロシア語で書かれた最も有名な愛の詩 «Я помню чудное мгновенье...» をプーシュキンが捧げた相手。プーシュキンが描いた似顔絵も残っている(プーシュキンは原稿に知人の似顔絵を描くのが好きだった)。
『原初年代記』
現存するロシア最古の文献。『過ぎし年月の物語』とも訳される。1113年、キエフの修道士ネーストルにより編纂されたが、これは現存しない。1116年、同じくキエフの修道士シリヴェストルにより改訂された第2版が編纂された。この写本はラヴレンティー年代記(1305)の冒頭に収められている。さらに1118年、作者不明の第3版が編纂され、この写本がイパーティー年代記(1420s)の冒頭に収められている。ゆえに、「ロシア最古の文献」と言っても、現存するのはラヴレンティー年代記とイパーティー年代記に収められた後世の写本(あるいは写本の写本)である。そもそも『原初年代記』自体、それ以前に書かれた年代記やその他の史料を基に編纂された。

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最終更新日 23 02 2013

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