ロシア用語の基礎知識:カ

カーシャ
日本では馴染みがないが、最も古典的かつ一般的なロシアの家庭料理。かゆ、あるいは雑炊のようなもの。
カチューシャ
日本語では、いくつかの意味で使われている。
 本来は、女性名エカテリーナの愛称形。トルストーイの『復活』のヒロインの名前、愛称であり、大正時代に日本で『復活』が舞台化され、『カチューシャの唄』(と映画)とともに有名になった。
 こんにちの日本でカチューシャと言えば、ヘッドバンドの一種。カチューシャと呼ばれるようになった由来は不明だが、上述舞台劇『復活』でヒロインを演じた女優がこの型のヘッドバンドをしていたから、という伝説がある。
 歌の『カチューシャ』は、1938年のソ連歌曲。作曲:マトヴェーイ・ブランテル、作詞:ミハイール・イサコーフスキー。前線に赴いた兵士を想うカチューシャという名の少女を歌った歌である。イタリアとギリシャではパルチザンの歌となり、イスラエルでは民謡となっている。日本で最も有名な «ロシア民謡» であろうが、厳密には民謡ではない。
 兵器のカチューシャは、第二次世界大戦で活躍した、ソ連製の自走式多連装ロケットランチャー。歌にちなんで名づけられたとする説があるが、確かなところは不明。ドイツ兵は «スターリンのオルガン» と呼んでいた。無照準・無誘導のため命中精度は期待できない。質より量という、ロシアらしい兵器である。
カデット
立憲民主党(正式には «立憲民主主義者»)の頭文字 КД をもじったもの。КД はロシア語では「カーデー」と読むが、これをカデット cadet とひっかけた。立憲民主党、および立憲民主党員を指す。1905年の第一革命により、制度内改革の可能性が見えてきた中で創設される。立憲君主制よりはブルジョワ共和制を目指した。特に中心人物ミリュコーフは、帝国政府と激しく対立した。
『悲しき天使』
森山良子や南沙織の歌で知られるが、これはメアリ・ホプキンの『Those Were the Days』のカバー。さらにこれには原曲があり、それがロシア語の『長い道を Дорогой длинною』。コンスタンティーン・ポドレフスキーの詩に、ボリース・フォミーンがジプシー風のメロディをつけた «ロマンス»(と呼ばれるロシア歌曲の一ジャンル)。いつできたかは正確には不明だが、1925年以前。フォミーンの生年が1900年で、しかも赤軍兵士として前線に出ていたので、作曲はどう考えても1920年以降。しかしソ連政府によりロマンス自体が反革命的というレッテルを貼られたため、やがてソ連では歌われなくなっていった(だいたい内容も過去を懐かしむ後ろ向きのもの)。このため逆に西側で亡命ロシア人によって歌い継がれ、それが『Those Were the Days』となった。
カバレフスキー ドミトリー
1904-87。作曲家。日本では『道化師のギャロップ』だけで知られているが、ロシアでは有名。
カフカーズ
カフカーズ山脈の南北にまたがる地域。北麓は北カフカーズ、南麓はザカフカージエと呼ばれる。
ガリツィア
ガーリチからつくられたラテン語(のドイツ語読み)。しかしかつてのガーリチ公国とガリツィアとはあまり重ならない。ヨーロッパでは、ポーランド分割によってオーストリア領となった地域を特にガリツィアと呼ぶ。
カルサヴィナ タマラ
1885-1978。バレリーナ。バレエ・リュッス旗揚げの時点ではまだパーヴロヴァやカラリの次に位置していたが、最初のシーズンが終わるまでにはその名はパリだけでなく欧米中に轟きわたっていた。以後、パーヴロヴァと並び賞されるバレリーナとして活躍。革命後にイギリスに亡命。
カーロフ ボリス
1887-1969。俳優。イギリス人で、本名はウィリアム・ヘンリ・プラット。ロシア語ちっくな «ボリス・カーロフ Boris Karloff» は1910年頃からの芸名だが、スラヴ系の祖先なり友人なりがいたわけではないらしく、その由来は不明。ちなみに、名のボリスはロシア語だけでなくブルガリア語などにも見られ、「外国語っぽかったから」名乗ったらしいが、そう言えばちょうどバレエ・リュッスがパリでデビューしたのが1911年。姓のカーロフはロシア語風に発音すると «カールロフ» だが、実は20世紀初頭のロマーノフ家にカールロヴァ伯妃なる人物がいた。ドイツ語ではカーロフ伯妃。ただしスペルは違う(Carlow)。ちなみにロシア語のカールロフは、カールルという男性名(ドイツ語のカール)からつくられたもので、決して珍しくない。
 さらにちなみに、現在ロシアにはボリース・カールロフなる作家がいる。版権商品をパクったものを書いているらしいので(わたしは読んだことがない)、あるいはこのペンネームもボリス・カーロフから借用したのかもしれない。
カンディンスキー ヴァシーリー
1866-1944。画家。抽象絵画の創始者であり、バウハウスの中心人物。前衛芸術家を «芸術の革命家» と認めたレーニンとの関係は良かったが、スターリンの下で前衛芸術に対する抑圧が始まると亡命した。

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最終更新日 01 09 2012

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