人口のみならずあらゆる統計の基本となるべき国勢調査であるが、ロシア・ソ連においては、本格的な国勢調査は過去10回しかおこなわれていない。国際的な基準としては10年に一度の実施が奨励されているが、ソ連成立後も完全には準拠できていない(ちなみに日本は5年に一度実施)。あれだけ広大で、しかも人口希薄で、さらに交通・通信の便の悪い国であってみれば、それも仕方ないだろう。加えて、国勢調査どころではない、革命、戦争、そして体制転換という国家的な動乱を幾度も経ているのだから。
人頭税徴収のための調査は、早くも13世紀にモンゴル(キプチャク・ハーン国)によっておこなわれている。18世紀になって、ピョートル大帝によって勅令によって人口調査について定められた。しかし本格的な国勢調査は、帝政末期になってようやくおこなわれている。
1897
ロシアにおいて最初にして、帝政時代唯一の国勢調査。フィンランド大公国は別の国なので含まれないが、ポーランド王国は王位のみで事実上ロシアに併合されていたため、含まれる。
調査結果は100冊を超える本として1905年までかけて出版された。
帝国臣民は 125 640 021人。百万都市はサンクト・ペテルブルグ(126)とモスクワ(104)のみ。識字率は 21.1%。
正教徒が 69.3%、ムスリムが 11.1%、カトリックが 9.1%、ユダヤ教徒が 4.2%。
使用言語別で見ると、ロシア語が 44.3%、ウクライナ語が 17.8%、ポーランド語が 6.3%、ベラルーシ語が 4.3%、イディッシュが 4.0%。
農民が 77.5%、町人が 10.7%、«異民族» が 6.6%、コサックが 2.3%、貴族が 1.5%、聖職者が 0.5%。
1926
共産党政権は1920年に国勢調査を実施したものの、まだ内戦が続いていた時期だったため、およそ国土の 70% では調査が実施できなかったらしい。このため、公的に全土的なものとは認められていない。
ソ連時代最初の本格的な国勢調査は、ようやく1926年になって実施された。
領土は 21 176 187 km²、人口は 147 027 915人、都市人口は 26 314 114人、男性は 71 043 352人(なぜか女性は示されていない)、ロシア人は 77 791 124人、ウクライナ人は 31 194 976人。なお、識字率は 56.6% に跳ね上がっている(ただし49歳以下)。
ロシアだけに限定してみると、領土は 19 651 446 km²、人口は 100 891 244人、都市人口は 17 442 655人、男性は 48 170 635、ロシア人は 74 072 000、ウクライナ人は 7 873 000人、カザフ人は 3 852 000人、タタール人は 2 846 734人、モルドヴァー人は 1 334 700人、チュヴァシュ人は 1 114 813人。
中央アジアのブハラとヒヴァ(ホレズム)を新たに併合したものの、ポーランド、フィンランド、バルト三国に加えて、ポーランド領となったベラルーシとウクライナの半分が失われた。
これだけ大量の人口が失われたのに加え、第一次世界大戦、内戦、干渉戦争と続いた戦乱と、革命の影響で国外に亡命した者も多かった。
ちなみにこの時なぜか領土が示されているが、ロシアの領土は現在より若干広い。この当時はまだカザフとクリミアがロシア領だったためである。カザフ人がこんにちに比べて格段に多いのもそのためである。
1937
いわゆる «大粛清» の最中に実施された。このためもあるのか、実施後になって「不備があった」として最終的な集計結果は公表されなかった。
中間集計によると(これはすぐに公表された)、総人口は 162 003 225人。
1939
1937年の国勢調査に代わるものとして実施された。
人口は 170 600 000。うち、都市人口は 56 100 000。
民族 | 人口 | |
---|---|---|
1 | ロシア人 | 99 591 520 |
2 | ウクライナ人 | 28 111 007 |
3 | ベラルーシ人 | 5 275 393 |
4 | ウズベク人 | 4 845 140 |
5 | タタール人 | 4 313 488 |
6 | カザフ人 | 3 100 949 |
7 | ユダヤ人 | 3 028 538 |
8 | アゼルバイジャン人 | 2 275 678 |
9 | グルジア人 | 2 249 636 |
10 | アルメニア人 | 2 152 860 |
1959
大祖国戦争の影響で1949年に実施できなかったため、20年振りの国勢調査となった。大祖国戦争の被害の実態を隠すためにここまで遅らせたのだとも言われた。
前回以降、バルト三国、モルドーヴァ、西ベラルーシ、西ウクライナ、その他の領土を併合している。その割には人口増加率が大したことがないのは、つまりはそれだけ戦争の被害が大きかったということだ。
総人口は 208 800 000人。
民族 | 人口 | 前回からの増減 | |
---|---|---|---|
1 | ロシア人 | 114 113 579 | 14 522 059 (1.15) |
2 | ウクライナ人 | 37 252 930 | 9 141 923 (1.33) |
3 | ベラルーシ人 | 7 913 488 | 2 638 095 (1.50) |
4 | ウズベク人 | 6 015 416 | 1 170 276 (1.24) |
5 | タタール人 | 4 917 991 | 604 503 (1.14) |
6 | カザフ人 | 3 621 610 | 520 661 (1.17) |
7 | アゼルバイジャン人 | 2 939 728 | 664 050 (1.29) |
8 | アルメニア人 | 2 786 912 | 634 052 (1.29) |
9 | グルジア人 | 2 691 950 | 442 314 (1.20) |
10 | リトアニア人 | 2 326 094 | 2 293 470 (71.30) |
ユダヤ人は、西ベラルーシ・西ウクライナというかつての集住地を併合したにもかかわらず、激減して11位。つまりはそれだけナチス・ドイツに殺されたということだ。
1970
本来は1969年に実施されるはずだったが、理由はよくわからないが1年ズレて1970年に実施された。
前回以降、フルシチョーフ政権による中央アジア開発が進んだためもあって、中央アジア系の人口増加率が高くなっている。
総人口は 241 720 100人。
ロシアに限ると、人口は 130 079 200人。
民族 | 人口 | 前回からの増減 | |
---|---|---|---|
1 | ロシア人 | 129 015 140 | 14 901 561 (1.13) |
2 | ウクライナ人 | 40 753 246 | 3 500 316 (1.09) |
3 | ウズベク人 | 9 195 093 | 3 179 677 (1.53) |
4 | ベラルーシ人 | 9 051 755 | 1 138 267 (1.14) |
5 | タタール人 | 5 783 111 | 865 120 (1.16) |
6 | カザフ人 | 5 298 818 | 1 677 208 (1.46) |
7 | アゼルバイジャン人 | 4 379 937 | 1 440 209 (1.49) |
8 | アルメニア人 | 3 559 151 | 772 239 (1.28) |
9 | グルジア人 | 3 245 300 | 553 350 (1.21) |
10 | モルドーヴァ人 | 2 697 994 | 483 855 (1.22) |
1979
総人口は 262 084 700人。
ロシアに限ると、人口は 137 409 900人。
民族 | 人口 | 前回からの増減 | |
---|---|---|---|
1 | ロシア人 | 137 397 089 | 8 381 949 (1.06) |
2 | ウクライナ人 | 42 347 387 | 1 594 141 (1.04) |
3 | ウズベク人 | 12 455 978 | 3 260 885 (1.35) |
4 | ベラルーシ人 | 9 462 715 | 410 960 (1.05) |
5 | カザフ人 | 6 556 442 | 1 257 624 (1.24) |
6 | タタール人 | 6 185 196 | 402 085 (1.07) |
7 | アゼルバイジャン人 | 5 477 330 | 1 097 393 (1.25) |
8 | アルメニア人 | 4 151 241 | 592 090 (1.17) |
9 | グルジア人 | 3 570 504 | 325 204 (1.10) |
10 | モルドーヴァ人 | 2 968 224 | 270 230 (1.10) |
1989
総人口は 286 731 000。
民族 | 人口 | 前回からの増減 | |
---|---|---|---|
1 | ロシア人 | 145 155 489 | 7 758 400 (1.06) |
2 | ウクライナ人 | 44 186 006 | 1 838 619 (1.04) |
3 | ウズベク人 | 16 697 825 | 4 241 847 (1.34) |
4 | ベラルーシ人 | 10 036 251 | 573 536 (1.06) |
5 | カザフ人 | 8 135 818 | 1 579 376 (1.24) |
6 | アゼルバイジャン人 | 6 770 403 | 1 293 073 (1.24) |
7 | タタール人 | 6 648 760 | 463 564 (1.07) |
8 | アルメニア人 | 4 623 232 | 471 991 (1.11) |
9 | タジク人 | 4 215 372 | 1 317 675 (1.45) |
10 | グルジア人 | 3 981 045 | 410 541 (1.11) |
ロシアに限ると、人口は 147 021 869。
民族 | 人口 | |
---|---|---|
1 | ロシア人 | 119 865 946 |
2 | タタール人 | 5 522 096 |
3 | ウクライナ人 | 4 362 872 |
4 | チュヴァシュ人 | 1 773 645 |
5 | バシュキール人 | 1 345 273 |
6 | ベラルーシ人 | 1 206 222 |
7 | モルドヴァー人 | 1 072 939 |
8 | チェチニャー人 | 898 999 |
9 | ドイツ人 | 842 295 |
10 | ウドムルト人 | 714 833 |
2002
ソ連崩壊後最初の国勢調査。本来は1999年に実施されるはずだったが、経済危機の影響で延期されていた。ソ連崩壊を受けて、デモグラフィアは大きく変化している。
総人口は 145 166 731。国勢調査の数字上では、初めて人口が減少した(ただし国勢調査に現れていない時期も考慮すると、革命後には人口が減少していたものと推定される)。
民族 | 人口 | 前回からの増減 | |
---|---|---|---|
1 | ロシア人 | 115 889 107 | -3 976 839 (0.97) |
2 | タタール人 | 5 554 601 | 32 505 (1.01) |
3 | ウクライナ人 | 2 942 974 | -1 419 898 (0.67) |
4 | バシュキール人 | 1 673 389 | 328 116 (1.24) |
5 | チュヴァシュ人 | 1 637 094 | -136 551 (0.92) |
6 | チェチニャー人 | 1 360 253 | 461 254 (1.51) |
7 | アルメニア人 | 1 130 491 | 598 101 (2.12) |
8 | モルドヴァー人 | 843 350 | -229 589 (0.79) |
9 | アヴァール人 | 814 473 | 270 457 (1.50) |
10 | ベラルーシ人 | 807 970 | -398 252 (0.67) |
前回の国勢調査から比べて ウクライナ人は激減。ベラルーシ人、ドイツ人、ウドムルト人など、全般的に減少している。中でもモルドヴァー人は1979年から比べても下げ止まらない。
そのような中にあって、カフカーズ系の急増が目立つ。
2010
最終的な集計結果の公表は今後3年ほどをかけておこなわれる。
中間集計によると、人口は 142 905 200人。ほかに、外国に居住するロシア国民が 90 200人(外交官など)。さらに、ロシア国内に居住する外国籍の者が 487 300人。
前回調査(2002年)から今回調査(2010年)までの、出生数は 12 706 300人、死亡数は 17 440 600人。
同じ時期において、ロシアへの移住は 2 939 200人、外国への移住は 466 400人。