モスクワ公領
ヴラディーミル大公領の分領のひとつ。元来は、ガーリチ=メールスキイ、スタロドゥーブ、ユーリエフ=ポリスキイなどと同じような狭小な分領であった。しかし14世紀に急速に領土を拡大し、ヴラディーミル大公領の大半を領有するにいたる。15世紀に入るとヴラディーミル大公領の外にも勢力を拡大し、モスクワ公領は事実上 «ロシア» と同義になった。
1300年、リャザニ公領からコロームナを獲得。
1302年、ペレヤスラーヴリ=ザレスキイ公領を併合。
1303年、スモレンスク大公領からモジャイスク公領を奪う。
1328年、ロストーフ公領からウーグリチ公領を買収。
1363年から翌年にかけて、ガーリチ=メールスキイ公領、スタロドゥーブ公領のほか、ヴラディーミル大公の本領(ヴラディーミルやコストロマーなど)も事実上併合。
1380年代に、ベロオーゼロ公領(北方)とカルーガ(南方)を獲得。
1393年、キプチャク・ハーンからスーズダリ大公領、ムーロム公領、トルーサ公領、メシチェラーに対する支配権を承認され、これらを併合。
1463年、ヤロスラーヴリ系諸公領を併合。
1472年、ペルムスカヤ・ゼムリャーを併合。
1474年、ロストーフ公領を併合(ただしそれ以前から事実上支配していた)。
1478年、ノーヴゴロドを併合。
1485年、トヴェーリ大公領を併合。
1489年、ヴャーツカヤ・ゼムリャーを併合。
1494年、リトアニアに上流諸公領に対する宗主権を認めさせ、事実上これらを併合する(分領公を追い出して領土的に併合するのはまだこれから)。
1503年、リトアニアからセーヴェルスカヤ・ゼムリャーの大部分を奪う。
1510年、プスコーフを併合。
1514年、リトアニアからスモレンスクを奪う。
1516年(21年)、リャザニ大公領を併合。これにより、独立公領はモスクワ以外に存在しなくなり、モスクワによる領土統一は一応の区切りを見た。
なお、この間もモスクワ系一族の中で新たな分領がつくられている。しかしそれらは、ウーグリチやモジャイスクなど、本来よそから奪ってきた領土。本来のモスクワ公領は、狭小だったこともあって、分領に分割されることはなかった。また、分領公が独立することもなく、常にモスクワ公・大公の宗主権下に置かれていた。しかも15世紀以降は中央集権化が急速に進み、このため分領も半ば名ばかりの存在となっていく。それもあってか、モスクワ系の分領公の中には、モスクワ大公に領土を交換させられた者が時々見られる。
モスクワ公 князь Московский
モスクワ Москва はロシア連邦の首都。モスクワ州という行政単位があるが、モスクワ市はそれとは別で、連邦直轄都市である。ただしモスクワ州の州都はモスクワ市(一部機関はクラスノゴールスク)。
年代記では1147年が初出。1156年、ユーリイ・ドルゴルーキイが砦をつくったという。これがクレムリンの起源である。
モンゴルの来襲にあったものの、1271年にアレクサンドル・ネフスキイの末子ダニイールがこの地を分領として与えられ、以後、交通の要衝にあったこと、キプチャク・ハーンの直接支配を受けなかったこと、森林に囲まれ、モンゴルの直接的攻撃・略奪の対象となりにくかったこと等から、次第に発展していく。
イヴァン・カリターはキプチャク・ハーンに取り入り、ヴラディーミルから府主教を迎え、またヴラディーミル大公位を得た。ドミートリイ・ドンスコーイは1380年にクリコーヴォの戦いでキプチャク・ハーン軍を破り、その名声を轟かせた。1382年には報復としてトフタミシュ・ハーンによりモスクワが焼き払われているが、すでにモスクワ公は独立的な力を手にしており、以後、歴代モスクワ公はハーンの許しなくヴラディーミル大公位を世襲している。その結果、この頃からモスクワ公ではなくモスクワ大公と呼ばれるようになった。やがて1480年にイヴァン3世大帝がキプチャク・ハーンの支配を最終的に振り切り、ツァーリを名乗って、ビザンティン皇帝の位牌を継ぎ神聖ローマ皇帝とも対等な立場を主張するようになる。1547年、イヴァン4世雷帝は «全ルーシのツァーリ» として戴冠。
-1238 | 11 | ヴラディーミル・ユーリエヴィチ | ヴラディーミル系 | (フセーヴォロド大巣公の孫) |
1246-48 | 11 | ミハイール・ヤロスラーヴィチ・ホローブリト | ヴラディーミル系 | 従兄弟 |
1248-63 | 12 | ボリース・ミハイロヴィチ | ヴラディーミル系 | 子 |
1263-1303 | 12 | ダニイール・アレクサンドロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 従兄弟 |
1303-25 | 13 | ユーリイ・ダニイーロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1325-41 | 13 | イヴァン1世・カリター | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 弟 |
1341-53 | 14 | セミョーン傲慢公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1353-59 | 14 | イヴァン2世赤公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 弟 |
1359-89 | 15 | ドミートリイ・ドンスコーイ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1389-1425 | 16 | ヴァシーリイ1世 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1425-34 | 17 | ヴァシーリイ2世盲目公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1434 | 16 | ユーリイ・ドミートリエヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 叔父 |
1434-62 | 17 | ヴァシーリイ2世盲目公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 甥/再任 |
1462-1506 | 18 | イヴァン3世大帝 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1506-34 | 19 | ヴァシーリイ3世 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1534-47 | 20 | イヴァン4世雷帝 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1547- | (歴代ツァーリ・皇帝) |
ズヴェニーゴロド公 князь Звенигородский
ズヴェニーゴロド Звенигород はモスクワ西方の都市(ロシア連邦モスクワ州)。
1152年、ユーリイ・ドルゴルーキイにより建設されたとされる。ただし年代記への初出は1339年。
-1354 | 14 | モスクワ公イヴァン2世赤公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | |
1359-64 | 15 | イヴァン小公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1389-1433 | 16 | ユーリイ・ドミートリエヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 甥(ドミートリイ・ドンスコーイの子) |
1434 | 17 | ヴァシーリイ・コソーイ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1462-92 | 18 | アンドレイ・ヴァシーリエヴィチ・ゴリャーイ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (ヴァシーリイ2世盲目公の子) |
セールプホフ公 князь Серпуховский
セールプホフ Серпухов はモスクワ南方のオカ河畔の都市(ロシア連邦モスクワ州)。
イヴァン・カリターの書簡に、その領土として初登場。公式には1339年が誕生の年とされている。
1341-53 | 14 | アンドレイ・イヴァーノヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (イヴァン1世・カリターの子) |
1358-1410 | 15 | ヴラディーミル勇敢公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1410-22 | 16 | イヴァン・ヴラディーミロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
1422-26 | 16 | セミョーン・ヴラディーミロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 弟 |
1427-56 | 17 | ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 甥 |
ボーロフスク公 князь Боровский
ボーロフスク Боровск はカルーガ北方の都市(ロシア連邦カルーガ州)。
史料上の初出は1358年。イヴァン2世赤公がその遺言状の中で言及している。ヴェレヤーとともに、かれがリャザニから奪った都市である。もっとも、一般的にはイヴァン赤公の弟アンドレイ・イヴァーノヴィチが、セールプホフとボーロフスクの公であったとされている。
1410-26 | 16 | セミョーン・ヴラディーミロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公の子) |
マロヤロスラーヴェツ公 князь Малоярославский
マロヤロスラーヴェツ Малоярославец はカルーガ北方の都市(ロシア連邦カルーガ州)。一般的に文献ではマロヤロスラーヴェツ公とされているのでここでもそうしておいたが、当時の名称はヤロスラーヴェツ Ярославец。マロヤロスラーヴェツと改称されたのは、1485年にモスクワ大公領に併合された後。
セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公により建てられ、息子ヤロスラーフにちなんでヤロスラーヴェツと名付けられたという。文献への初出は1402年。
1410-26 | 16 | ヤロスラーフ・ヴラディーミロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公の子) |
ラードネジュ公 князь Радонежский
ラードネジュ Радонеж はモスクワの北東、セールギエフ・ポサード近郊の集落(ロシア連邦モスクワ州)。
年代記への初出は知らない。もともとはロストーフ公領で、1328年頃ロストーフ公のボヤーリンだったキリールなる人物がここに移り住んでいる。その息子が、ロシアで最も尊崇される聖者のひとり、セールギイ・ラードネジュスキイであり、かれがラードネジュ近郊に建てた修道院が三位一体セールギイ大修道院であり、その周囲にできた集落がセールギエフ・ポサードである。
ラードネジュそのものは、イヴァン・カリターの死んだ1341年にはモスクワ公領となっていた。その死後は未亡人ウリヤーナの、その死後は息子アンドレイの領土となり、その死後分領となった。
1410-26 | 16 | アンドレイ・ヴラディーミロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公の子) |
ペレムィシュリ公 князь Перемышльский
ペレムィシュリ Перемышль はカルーガ南方の小村(ロシア連邦カルーガ州)。
1328年付けのイヴァン・カリターの公文書が歴史への初登場。これによりセールプホフ公アンドレイ・イヴァーノヴィチに与えられる。
1414-27 | 16 | ヴァシーリイ・ヴラディーミロヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公の子) |
ヴォーログダ公 князь Вологодский
ヴォーログダ Вологда は、緯度から言えばノーヴゴロドより北、ベーロエ・オーゼロ(ベロオーゼロ)に近い北の拠点都市(ロシア連邦ヴォーログダ州州都)。
1147年、ユーリイ・ドルゴルーキイにより建設されたとされているが、年代記への初出は1264年。その北方(現アルハンゲリスク州)を広く勢力圏としたノーヴゴロド共和国に対する、ヴラディーミル大公の最前線の拠点であった。地理的には13世紀初頭以降ロストーフ公領だったろうと思われるが、よくわからない。どうやらその後、ノーヴゴロドの勢力圏に入っていたようである。1368年、ドミートリイ・ドンスコーイがノーヴゴロドと協定を結び、両者が共同管理することとなった。1397年、その子ヴァシーリイ1世がモスクワ大公領に併合した。その後、その分領となる(ただし独自の公家は根付かなかった)。
1446 | 17 | ヴァシーリイ2世盲目公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | |
1462-81 | 18 | アンドレイ若年公 | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
ヴェレヤー公 князь Верейский
ヴェレヤー Верея はモスクワ南西の小都市(ロシア連邦モスクワ州)。
イヴァン2世赤公がリャザニから奪ったとする文献があるが、年代記への初登場は1371年。直後にドミートリイ・ドンスコーイによりモジャイスクとともにその子アンドレイに与えられる。その死でモジャイスク公領が分割され、ミハイールがヴェレヤーの分領公となった。しかし1486年にミハイールが死んだ時点で、その子ヴァシーリイがリトアニアに亡命していた(1484年)ため、ヴェレヤー公領はモスクワに統合された。1519年以降はスターリツァ公領。
1432-86 | 17 | ミハイール・アンドレーエヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (モジャイスク公アンドレイ・ドミートリエヴィチの子) |
ルーザ公 князь Рузский
ルーザ Руза はモスクワ西方の都市(ロシア連邦モスクワ州)。
1389年、ガーリチ・メールスキイ、ズヴェニーゴロドとともにユーリイ・ドミートリエヴィチの分領となる。ヴォロク公領の分領。イヴァン・ボリーソヴィチ公の死後、モスクワに併合される。
1494-1504 | 19 | イヴァン・ボリーソヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (ヴォロク公ボリース・ヴァシーリエヴィチの子) |
スターリツァ公 князь Старицкий
スターリツァ Старица はトヴェーリ南西のヴォルガ河畔の都市(ロシア連邦トヴェーリ州)。
1297年、トヴェーリ公ミハイール・ヤロスラーヴィチによって建設された。1485年、モスクワ大公領に併合される。ヴラディーミル・アンドレーエヴィチは、しばしば «最後の分領公» と呼ばれる。
1505-36 | 19 | アンドレイ・イヴァーノヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (イヴァン3世大帝の子) |
1541-69 | 20 | ヴラディーミル・アンドレーエヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | 子 |
カルーガ公 князь Калужский
カルーガ Калуга はモスクワの南西、オカー河畔の都市(ロシア連邦カルーガ州州都)。
1371年、リトアニア領の都市として歴史に初登場。1389年、モスクワに併合される。
1506-18 | 19 | セミョーン・イヴァーノヴィチ | ヴラディーミル系(モスクワ系) | (イヴァン3世大帝の子) |