バグラティオニ家はグルジアの王家である。
バグラティオニ家に属すると見られる人物は、すでに8世紀から文献に見られる。その血縁関係ははっきりしないが、さかのぼればアルメニアのバグラトゥニ家の出だとされている。
バグラティオニ家はグルジアでいくつかの国を支配していたが、11世紀にバグラト3世が出て、統一グルジア王国が成立する。もっとも、こんにちのグルジア領内には、この統一から漏れた地域もあったが。
12世紀末、ギオルギ3世(ゲオルギイ3世)の死後、王位を継いだのは娘のタマル(タマーラ)。ここで4世紀に及ぶバグラティオニ家の血統が男系では断絶したことになるが、家名はその子孫がそのまま継いでいる。
女王タマル(タマーラ)の後、モンゴルの襲来もあって、内紛が勃発。ダヴィト6世(ダヴィド6世)とダヴィト7世(ダヴィド7世)がグルジアを東西に分割したが、内紛は収まらず、最終的に15世紀後半になって、グルジアは3つに分割された。それがカルトリ、カヘティ、イメレティである。
バグラティオニ家の3つの系統はそれぞれカルトリ、カヘティ、イメレティの三国の王家として続いたが、18世紀に入ってカルトリ系がオスマン帝国、ペルシャ帝国の圧迫を受けて王位を失う。続いてカヘティ系が、カルトリ王位をも獲得してカルトリ=カヘティ王となるが、1801年、ダヴィト12世(ダヴィド12世)の即位を前にロシアにより国を併合された。最後にイメレティ系も1810年、最後の王ソロモン2世が位を追われ、これも国をロシアに併合された。
国を失ったバグラティオニ家の一族は、ロシア貴族となった者と、ペルシャ帝国などに亡命した者に分けられる。
ロシアでは、バグラティオニ家は王家であったから、その一族には一様に公の称号が与えられた。ただし姓については、次のように分けられた。
- グルジンスキイ
- カルトリ王子バカルの子孫
- カルトリ=カヘティ王エレクレ2世(イラークリイ2世)の子孫
- バグラティオーン
- バグラティオーン=ムフランスキイ : ムフラニ公家の子孫
- バグラティオーン=イメレティンスキイ : イメレティ王家の子孫
- バグラティオーン=ダヴィドフ : ダヴィティシュヴィリ家
- バグラティオーン : その他
バグラティオニ家とルーシ=ロシアの王家との関係は、
- 1154年、ドミートリイ1世の娘ルスダン?がキエフ大公イジャスラーフ・ムスティスラーヴィチ(ヴォルィニ系)の後妻になったとの説がある。子なし?
- 1185年、女王タマーラの最初の夫となったのがユーリイ・アンドレーエヴィチ(ヴラディーミル系)。子なし。
- 1604年、カルトリ王ゲオルギイ10世の娘エレーナが、ボリース・ゴドゥノーフの息子フョードル(父の死後に位を継ぎフョードル2世)と婚約。
- 1911年、コンスタンティーン・アレクサンドロヴィチ・バグラティオーン=ムフランスキイが、大公女タティヤーナ・コンスタンティーノヴナと結婚。子孫は現存。
- 1948年、レオニーダ・ゲオルギエヴナ・バグラティオーン・ムフランスカヤが、大公ヴラディーミル・キリーロヴィチと結婚。娘が現在ロマーノフ家の当主を自称する大公女マリーヤ・ヴラディーミロヴナ。
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人名は、わたしがグルジア語を解さないこともあって、すべてロシア語読みしている(ロシア語に対応する人名が存在する場合は)。
赤枠はグルジア王(カルトリ=カヘティ王)。ピンク枠は女性。水色枠はイメレティ。緑色枠はカルトリ。オレンジ色枠はカヘティ。青枠はムフラニ。