リトアニア諸公

アレクサンドル・パトリケーエヴィチ

Александр Патрикеевич

スタロドゥーブ公 князь Стародубский ?

生:?
没:?

父:スタロドゥーブ公パトリケイ・ナリムントヴィチトゥーロフ=ピンスク公ナリマンタス
母:?

結婚:?

子:

生没年分領配偶者生没年その親・肩書きその家系
母親不詳
セミョーン
?アグラフェーナアンドレイ・ドミートリエヴィチ1382-1432モジャイスク公リューリク家

ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではアレクサンドラス・パトリケイェヴィチウス Aleksandras Patrikejevičius。

 1402年、レングヴェニスとともにリャザニ大公フョードル・オーリゴヴィチを破り、ロドスラーフ・オーリゴヴィチを捕虜とする。

 アレクサンドル・パトリケーエヴィチが年代記に登場するのはこの1402年だけで、その後姿を消す。翌1403年にはアグラフェーナ・アレクサンドロヴナがアンドレイ・ドミートリエヴィチと結婚しているが、アグラフェーナの父親の名はアレクサンドル・パトリケーエヴィチではなくアレクサンドル・ミハイロヴィチ(誰それ?)と言われることもある。

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最終更新日 01 01 2012

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