トレニオタ
Treniota
ジェマイティヤ公?
リトアニア大公 (1263-64)
生:?
没:1264
父:ジェマイティヤ公ヴィキンタス or エルドヴィラス?
母:?
結婚:?
子:?
ロシア語ではトロイナト Тройнат/トレニャタ Тренята。
1259年・60年にジェマイティヤで発生した大規模な反ドイツ騎士団の叛乱において、その指導者として言及されるのが、歴史に登場した最初である。
ジェマイティヤ(サモギティア)は、現リトアニア西部。北のリヴォニア騎士団と、南西のドイツ騎士団が、両者を結ぶ回廊として確保しようと、絶え間なく侵攻を繰り返し、何度もその支配下に置かれた(時には全土が、時には一部が)。そのためもあり、政治的に統一されたことがない。トレニオタも «ジェマイティヤ公» と呼ばれることがあるが、おそらくジェマイティヤ全土の公ではなく、ジェマイティヤに何人かいた公のうちのひとりであろう。
次に登場する1263年には、ダウマンタスと結んでミンダウガスを殺し、自らリトアニア大公となった。しかしミンダウガスの遺児ヴァイシュヴィルカスがガーリチ=ヴォルィニ、ピンスク、ノーヴゴロドの支援を得て、1264年にリトアニアに侵攻。トレニオタは殺された。
なおかれの死については、ミンダウガスの従者に殺されたのだとされることもある。
ドイツ騎士団に対する叛乱の指導者であったことからしても、ミンダウガスを殺したことからしても、おそらくは反キリスト教勢力に属したのだろうと想像される。当時のリトアニアの状況を推測するに、ミンダウガスがキリスト教に改宗したとはいえ、依然古来の異教を信奉する勢力も根強かったであろう。トレニオタは、あるいはこのような勢力に担がれた存在だったかもしれないし、かれ自らがそのような勢力を結集してドイツ騎士団やミンダウガスに対峙したのかもしれない。
ジェマイティヤの叛乱を指揮したことから、その公であったと考えられている。
ジェマイティヤの公であったとすると、同じくジェマイティヤの公であったヴィキンタスとエルドヴィラスが想起されるが、トレニオタはそのいずれかの子であったと推測されている。だとするとおそらくは、1219年にただ一度しか言及されないエルドヴィラスではなくヴィキンタスの子であったろう。
しかしトレニオタは同時にミンダウガスの甥とも言われている。同じくタウトヴィラスとゲドヴィダスもミンダウガスの甥とされているが、トレニオタがかれらの兄弟だったとする史料も、それを示唆する状況証拠も見当たらない。このふたりはミンダウガスの兄ダウスプルンガスの子と考えられているので、おそらくトレニオタは、ダウスプルンガス & ミンダウガス兄弟の姉妹の子であったのだろう。
これを要するに、トレニオタは、ヴィキンタスないしエルドヴィラスを父に、ダウスプルンガス & ミンダウガス兄弟の姉妹を母に生まれたと推測される。