ダウマンタス
Daumantas
リトアニア大公 (1282/83-85)
生:?
没:?
父:?
母:?
結婚:?
子:?
ロシア語ではドヴモント Довмонт。
ダウマンタスに関する史料はただひとつ。ルーシの年代記によると、1285年、リトアニアの公ドヴモントがトヴェーリに侵攻。トヴェーリ、モスクワ、ノーヴゴロト、トルジョーク等々のルーシ連合軍がこれを破り、ドヴモントを捕虜としたという。
1282年に死んだトライデニスの後を襲ってリトアニア大公になったのだろうと推測される。後任は、ブティゲイディス。
当時プスコーフ公だったダウマンタスと同一人物と考える者もある。確かにこの時期、ルーシの年代記はプスコーフ公ダウマンタスについては完全に沈黙している。長く対立してきたプスコーフとリトアニアを、リトアニア人のプスコーフ公であるダウマンタスが統一支配した、というのも考えられないことではない。
もっとも、ドヴモントがルーシの年代記作家の目から見て «公» と呼ぶに値する人物だったとしても、それが «リトアニア大公» であったか否かはまた別であろう。単に、リトアニアにあまたいた諸公の中のひとりでしかなかったかもしれない。ただし、たとえそうであったとしても、はるかトヴェーリまで侵攻してきたということは、かなり有力な公ではあったはずだ。