リトアニア諸公

サングーシュコ

Sanguszko

生:?
没:?

父:?
母:?

結婚:?

子:

生没年分領配偶者生没年その親・肩書きその家系
母親不詳
アレクサンドル
ミハイール

ゲディミノヴィチ? 正教徒? サングーシュコはポーランド語。リトアニア語ではサングーシュカ Sanguška、ロシア語ではサングーシュコ Сангушко。
 サングーシュコ家の祖(とされている)。

 素性不詳。
 サングーシュコ家の出自については、フョードル・オリゲルドヴィチの子孫とする説、リウバルタスの子孫とする説とがある。まれにレングヴェニスの子孫とされることもある。
 サングーシュコ家自身はリウバルタス説を採っていたようで、のちの時代には «サングーシュコ=ルバルトヴィチ» を名乗る者もあったらしい。

 «サングーシュコ» というのは、アレクサンドラス/アレクサンデル/アレクサンドルの短縮形サングーシュから来たとされる。一般的には、15世紀にアレクサンドル・フョードロヴィチなる人物がおり、かれがサングーシュコ家の祖とされているようだ。このアレクサンドル・フョードロヴィチが、フョードル・オリゲルドヴィチフョードル・リュバルトヴィチの子だったと考えられている。
 サングーシュコ家の所領はヴォルィニにあり、その中心的な居館もスラヴタ(現ウクライナ)にある。とすれば、親子2代にわたってヴォルィニを支配したフョードル・リュバルトヴィチの子孫である可能性が高い。とはいえ、フョードル・リュバルトヴィチはその前半生においてヴォルィニから追放されており、むしろ逆に可能性は低いとも言えるだろう。ちなみに、フョードル・オリゲルドヴィチの分領もヴォルィニにあったと言われることがある。レングヴェニスはヴォルィニとは何の関係もない。

 ふたりの息子から、カーメニ=カシールスキイを領有するコシルスキ系と、コヴェリを領有するコヴェルスキ系に分かれた。

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最終更新日 01 01 2012

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