ブタウタス
Butautas Kęstutaitis
生:?
没:1380.05.07−プラハ
父:トラカイ公ケーストゥティス (リトアニア大公ゲディミナス)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 配偶者 | 生没年 | その親・肩書き | その家系 | |
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母親不詳 | |||||||
ヴァイドゥティス | 1365-1422 | (ヤギェウォ大学学長) |
ゲディミノヴィチ。ロシア語ではブトフト Бутовт Кейстутович。
1365年、リトアニアを分割支配していた伯父アルギルダスと父とが、叔父リウバルタス支援のためガーリチ=ヴォルィニに赴いている隙に、ヴィリニュスにて大公位を奪おうとクーデタを起こす。しかしこれに失敗し、ドイツ騎士団のもとに逃亡。
ブタウタスはケーニヒスベルクでカトリックに改宗(洗礼名はヘンリカス Henrikas/ハインリヒ Heinrich)。ドイツ騎士団を率いてリトアニアに侵攻し、ケルナヴェを荒らしまわった。
もっとも、クーデタ未遂事件についてはその信憑性を疑う向きもあるようだ。
その後、ブタウタスはケーニヒスベルクからプラハへ。皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世)に仕える。カール4世からは公 Herzog の称号を認められ、領土も与えられた。ブタウタスはカール4世に付き従い、イタリアへの旅にも同行している。