ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチ
Василий Константинович
チャルトルィースク公 князь Чарторыйский
生:1375?
没:1416−チャルトルィースク
父:チャルトルィースク公コンスタンティナス
母:?
結婚:
& アンナ
子:
名 | 生没年 | 分領 | 配偶者 | 生没年 | その親・肩書き | その家系 | |
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アンナと | |||||||
1 | イヴァン | -1489 | |||||
2 | アレクサンドル | -1477 | |||||
3 | ミハイール | -1489 |
ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではヴォシリウス・コンスタンティノヴィチウス Vosylius Konstantinovičius、ポーランド語ではヴァシル・コンスタンティノヴィチ Wasyl Konstantinowicz。
1393年にはポーランド王・リトアニア大公ヨガイラに仕えている。父は1385年にヨガイラに反発してハンガリーに亡命していた。その父も1392年までには死んでいると思われるので、あるいはそれを機にヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチは帰国したということだろうか。あるいはもともと父に同行していなかったのだろうか。
チャルトルィースクを初めて領有したのは、父ではなくヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチだとも言われる。