イヴァン・ヴァシーリエヴィチ
Иван Васильевич
チャルトルィースク公 князь Чарторыйский
生:?
没:?
父:チャルトルィースク公ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチ (チャルトルィースク公コンスタンティナス)
母:アンナ
結婚:?
子:?
ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではイヴァナス・ヴォシリエヴィチウス Ivanas Vosylijevičius、ポーランド語ではイヴァン・ヴァシレヴィチ Iwan Wasylewicz。
リトアニア大公位を巡る内戦(1432-37)において、イヴァン・ヴァシーリエヴィチは兄弟のアレクサンドル & ミハイールとともに、終始一貫してシュヴィトリガイラを支持してジギマンタスと戦った。
しかし内戦は、ポーランドの支援を得たジギマンタスが優勢で、特に1435年のパバイスカス/ヴィウコミェシュの敗戦後は、シュヴィトリガイラを支持したルーシ貴族も徐々に脱落していき、1437年にはほぼ内戦が終結した。
その後もヴァシーリエヴィチ兄弟はシュヴィトリガイラとの関係を維持したらしい。1440年にジギマンタスが暗殺されたが、下手人はヴァシーリエヴィチ兄弟だと言われる。少なくともイヴァン・ヴァシーリエヴィチは、トラカイ城を占領した。
後継のリトアニア大公に選出されたカジミエラスは、ヴァシーリエヴィチ兄弟を下手人として追求した。イヴァン・ヴァシーリエヴィチは恩赦が認められるまでトラカイ城を明け渡さなかったらしい。
あるいはカジミエラスの追求を逃れるためもあったのか、ヴァシーリエヴィチ兄弟は1442年にシュヴィトリガイラからヴォルィニに領土をもらっている(シュヴィトリガイラは依然としてヴォルィニとポドーリエを支配し続けた)。