リトアニア諸公

スキルガイラ・アルギルダイティス

Skirgaila Algirdaitis

トラカイ公 (1382-92)
リトアニア副王 (1386-92)
ポーロツク公 князь Полоцкий (1387-93)
キエフ公 князь Киевский (1394-97)

生:1353頃
没:1397.01.11−キエフ

父:リトアニア大公アルギルダス (リトアニア大公ゲディミナス
母:ユリアーニヤ (トヴェーリ大公アレクサンドル・ミハイロヴィチ

結婚:?

子:?

ゲディミノヴィチ。ロシア語ではスキルガイロ・オリゲルドヴィチ Скиргайло Ольгердович。

 1377年、父が死去。兄ヨガイラが後を継いでリトアニア大公となった。
 父はその弟(スキルガイラの叔父)ケーストゥティスと、権力を二分していた。ヨガイラもこの体制を引き継ぐが、おそらくスキルガイラはこれに反発していたものと想像される。
 1379年、ヨガイラケーストゥティスはドイツ騎士団と講和したが、この年、スキルガイラは単独でドイツ騎士団のもとを訪れている。その後の事態の推移からするに、おそらく、ヨガイラとドイツ騎士団の反ケーストゥティス同盟の可能性を探りに行ったものではないだろうか。ヨガイラは翌1380年に、ドイツ騎士団と、ケーストゥティスを仮想敵とする秘密条約を結んでいる。

なお、この時期ドイツ騎士団とリヴォニア騎士団は合同していた。もっとも、だからと言って厳密に両者が一体化していたわけではないようだが。

 1381年、ヨガイラによりポーロツク公に任命される。しかしこれにポーロツク市民が反発。スキルガイラは軍を率いてポーロツクを攻囲するが、ポーロツク市民は頑強に抵抗した。この時スキルガイラは、ポーロツク市民をなだめるため、正教に改宗したとも言われる(洗礼名イヴァナス Ivanas/イヴァン Иван)。
 そうこうする間、ヨガイラとドイツ騎士団の秘密条約を知ったケーストゥティスがヴィリニュスを占領し、ヨガイラを捕虜として、自らリトアニア大公となった。スキルガイラはリヴォニアに逃亡し、ポーロツク公には異母兄アンドレイ・オリゲルドヴィチが任命された。

 1382年、ヨガイラが蜂起し、スキルガイラもそのもとにかけつけた。ヨガイラがトラカイを占領すると、スキルガイラがその城代となる。さらにケーストゥティスとの交渉にも従事。ケーストゥティスに、交渉のためヨガイラの陣営を訪れるよう説得したのはスキルガイラだった。結局ケーストゥティスは捕らえられ、クレヴァス/クレヴォに幽閉された。ケーストゥティスは殺されたとも言われるが、その場合下手人とされるのはスキルガイラである。
 スキルガイラは褒賞として、ケーストゥティスの遺領をもらう。すなわち、おそらく、トラカイを拠点にジェマイティヤを支配したのだろう。

 その後、スキルガイラはヨガイラとポーランドとの交渉を担当。1385年のクレヴァス/クレヴォ条約として結実させた。1386年、ヨガイラがポーランド王に即位すると、スキルガイラがリトアニア全土の統治を委ねられる。
 なお、スキルガイラがいつカトリックに改宗したかはよくわからないが、おそらく1383年か84年か、いずれにせよ1386年より前だったと思われる(洗礼名カジミエラス Kazimieras/カジミール Казимир)。

 1387年、ポーロツクを占領。アンドレイ・オリゲルドヴィチを追い出した。ポーロツクに加え、ミンスク、ロゴジュスク、リューベチなども支配した。

 スキルガイラは、リトアニア貴族には不評だった。これに付け込んだヴィタウタスが、1389年、ヨガイラに反旗を翻すと、当然のごとくリトアニア貴族も多くがこれを支持。スキルガイラは首都ヴィリニュスを弟カリガイラに委ねたが、1390年にヴィタウタスに奪われた(カリガイラも戦死)。
 結局1392年、アストラヴァス/オストルフ条約においてヴィタウタスヨガイラが講和。ヴィタウタスが事実上のリトアニア大公となった。これにともない、トラカイ公領もヴィタウタスの «ヴォーッチナ(父祖の地)» として返還されている。さらにはポーロツク公領もアンドレイ・オリゲルドヴィチに返還されることが決定された。スキルガイラの領土はなくなることとなり、代償としてキエフをもらうことになった。

 1392/93年、ヴィタウタスとともにヴィテブスクを占領。シュヴィトリガイラを捕らえる。

 1393/94/95年、ヴィタウタスとともにキエフに侵攻。ヴラディーミル・オリゲルドヴィチを追って、キエフスカヤ・ゼムリャーを領有する。

 かれの支配に反発するルーシ貴族により毒殺されたとも言われる。

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最終更新日 01 01 2012

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