リトアニア諸公

ロマーン・フョードロヴィチ

Роман Федорович

コブリン公 князь Кобринский

生:?
没:?

父:フョードル・オリゲルドヴィチ (リトアニア大公アルギルダス
母:?

結婚:?

子:

生没年分領配偶者生没年その親・肩書きその家系
母親不詳
1セミョーンコブリン

ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではロマナス・テオドロヴィチウス Romanas Teodorovičius。
 なお、厳密にはロマーンとフョードル・オリゲルドヴィチの父子関係は証明されているわけではない。ゆえに «フョードロヴィチ» という父称も確実ではない(同時代史料ではただ単に «ロマーン» としか呼ばれていない)。

 史料上の初出は1387年。

 1393年、ノーヴゴロド軍を率いてモスクワ侵攻。1394年にはプスコーフへ。

 1404年、リトアニア大公ヴィタウタスによりコブリンなど、ヴォルィニの所領に対する権利を確認してもらう。

 1411年、ヨガイラのクラクフ宮廷に。

 1417年が史料に登場する最後となる。

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最終更新日 01 01 2012

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