民話の登場人物

ロシア民話は、ヴラディーミル・ダーリとアレクサンドル・アファナーシエフ抜きには語れない。アファナーシエフの民話集の1編なりとも聞かずに育ったロシア人はいないはずで、その意味でアファナーシエフの民話集はロシア人の民族意識に確固として根付いている。
 アファナーシエフの民話集は、グリムの業績に刺激されたもので、実際に様々な階層の人々が語った民話が収められている。しかしその大半は、ヴラディーミル・ダーリが蒐集したものである。
 民話というものを広く捉えれば、民間信仰に根ざしたある種の «神話»、キリスト教説話、史実に材をとった «伝承»、また英雄譚なども含まれるだろう。しかし現実にこんにちのロシアで民話 народная сказка と言えば、アファナーシエフの民話集に載っているもの、つまりは、非キリスト教的で超自然的な、史実とは無縁の昔話、寓話、童話のたぐいという認識が強い。ちなみに、当然のことながら、アファナーシエフの民話集だけがロシアの民話ではない。コロボークのように、アファナーシエフの民話集には登場しないものもあるし、ゴーゴリが小説化したウクライナ民話なども、ロシア人にとってはロシア民話と認識されているように思われる。
 民話はもともとが «お話»、つまりは «語り» であり、ゆえにその場の状況や語り手の趣味に合わせて様々なバリエーションが生じるものである。アファナーシエフの民話集に収録されている550編も、ほぼ同じものをひとつとして数えれば総数はその約半分になる。そこに登場する人物の名前も、バリエーションによって異なる場合が多々あり、ここでそれを網羅することは不可能である。よって、特に代表的と思われるもののみを挙げた。

 ちなみに、民話にはつきものの «王さま» という表現だが、ロシア語では «ツァーリ» を使う。女王・王妃は «ツァリーツァ»、王子は «ツァレーヴィチ»、王女は «ツァレーヴナ» である。

イヴァンの馬鹿 Иван-дурак
トルストーイ版の民話でよく知られるが、実際民話でもかなり登場頻度が高く、知名度も高い存在である。イヴァンの馬鹿ではなく単なるイヴァン、あるいはイヴァーシュコ、イヴァーヌシュカなどの愛称形で呼ばれることも多い。さらにイヴァン・ツァレーヴィチまでも含めると、バーバ・ヤガー以上の登場頻度を誇るかもしれない。
 通常は三人兄弟の末っ子(主に下層階級)。賢く抜け目のない上のふたりの兄が失敗した使命、あるいは継母その他が押し付けた無理難題を、しばしば魔法の助けを借りて果たす。ただしイヴァンの馬鹿本人は魔法使いではない。
 ここで言う «馬鹿» は、言葉の本来の意味でイヴァンを修飾しているわけではない。本来はこれは、悪魔から赤子を護るために故意につけられた呼び名であったろう。実際、民話のイヴァンの馬鹿は必ずしも «馬鹿» ではない。とはいえ、賢さよりも善良さによりハッピーエンドを迎えることが多い。
イヴァン・ツァレーヴィチ(イヴァン皇子) Иван-Царевич
民話の登場人物としては18世紀末から19世紀初頭にかけての時期に出現した。言わばイヴァンの馬鹿の上流階級版。
 上流階級版であるだけに、庶民出身の主人公と対立する否定的な存在として描かれることもある。しかし通常は、イヴァン・ツァレーヴィチは主人公らしい主人公として登場する。
 もっとも、その特性は «上流階級出身» という点にのみあると言っても過言ではなく、中身はイヴァンの馬鹿と変わりはない。
火の鳥 жар-птица
言葉のそもそもの意味からすると、«熱の鳥»。とはいえただ単に熱いわけではなく、燃えているので、«火の鳥» という訳語は適切であろう。
 火の鳥がどのような姿をしているのか、民話は口をつぐんでいる。燃えていると言っても、どこがどう燃えているのかもはっきりしない。唯一どの民話にも共通しているのは、その羽根が黄金色に輝いていることである。ロシア人の平均的なイメージとしては、長い尾を持つ大きな鳥で、おおよそは孔雀が原形となっている。
 当然のことながら人語を解する。
 «火» の鳥というイメージ、またその歌が聞く人の病を癒す点など、おそらくギリシャ神話のフェニックスが基になって、あるいはその影響を受けているのであろう。
 民話中の火の鳥は、基本的に主人公(通例イヴァン・ツァレーヴィチやイヴァンの馬鹿)が追い求める対象物である。
エレーナ・プレクラースナヤ(麗しのエレーナ) Елена Прекрасная
«麗しのエレーナ»、あるいは単にエレーナとは、ギリシャ神話に登場するヘレネーのこと。つまりは絶世の美女の代名詞である。ヴァシリーサ Василиса という名の女性も民話には多く登場するが、この名は王妃・女王を意味するギリシャ語である。つまり、言うならばエレーナは美女、ヴァシリーサは王女という属性を表しているだけのことであり、ゆえにエレーナとヴァシリーサはほぼ互換可能である。
 形容詞も、プレクラースナヤ(麗しい)のほかにプレムードラヤ Премудрая(賢い)の場合もある。
 このため、エレーナにせよヴァシリーサにせよ、民話において固有の人格や役割が与えられているわけではない。場合によっては単なる主人公の褒賞であり、場合によっては主人公の窮地を救うデウス・エクス・マキナのこともある。場合によっては主人公となり、イヴァン・ツァレーヴィチの女性版という形で、継母にいじめられ、無理難題を仰せつかり、バーバ・ヤガーから命を狙われることもある。
ツァレーヴナ・リャグーシュカ Царевна-Лягушка
リャグーシュカとはカエルのこと。ツァレーヴナとはツァーリ(王)の娘を意味し、言うならば «カエル王女» とでもいう意味になる。実際、彼女は人語を解するカエルである。
 代表的な民話では、イヴァン・ツァレーヴィチの妻。その正体は、父親である不死身のコシチェーイ(時には «海の王 Морской Царь»)によって、3年間カエルの姿でいるよう命じられた、ヴァシリーサ・プレムードラヤ(エレーナ・プレクラースナヤのこともある)。イヴァン・ツァレーヴィチが不死身のコシチェーイを倒し、人間の姿に戻ったツァレーヴナ・リャグーシュカは、イヴァン・ツァレーヴィチと幸せに暮らした、というオチで終わる。
 なおこの話では、バーバ・ヤガーがイヴァン・ツァレーヴィチに不死身のコシチェーイを殺す方法を教えている。珍しくバーバ・ヤガーが «正義の味方» になっているのもおかしいが、不死身のコシチェーイとの対立関係を思わせて興味深い。
マーリヤ・モーレヴナ Марья Моревна
美しい王女。一説によれば、モーレヴナは «モール(死)の» という意味だとされる。他方で、マーリヤ・モーレヴナは遊牧民から借用してきた形象との説もある。実際民話において、マーリヤ・モーレヴナはおそらく遊牧民と思われる人々を率いている。
 もっとも、それを除けば、マーリヤ・モーレヴナの形象はエレーナ・プレクラースナヤなどとあまり変わらない。不死身のコシチェーイを幽閉しているが、逃げられると逆にコシチェーイの虜囚となってしまい、夫のイヴァン・ツァレーヴィチが救い出してくれるのを待つだけである(とはいえ、コシチェーイの持つ秘密を聞き出してイヴァン・ツァレーヴィチに教えるなどの活躍はする)。
 マーリヤ・モーレヴナの民話は、むしろ、マーリヤ・モーレヴナ自身も含めて、その登場人物の特徴が興味深い。コシチェーイがマーリヤ・モーレヴナの虜囚となっていたこと、イヴァン・ツァレーヴィチの義弟たちがいずれもオーボロテニであること、バーバ・ヤガーが(結果的に、だが)イヴァン・ツァレーヴィチを助ける役割を果たしていること、などである。
スネグーロチカ Снегурочка
«雪娘» と訳されることもある。民話においては彼女がいかなる存在か必ずしも一定していないが(普通の人間である場合もある)、一般的には雪からつくられた少女と考えられている。一般的なイメージの普及に与って力あったのが、アファナーシエフの民話に触発されたオストローフスキイの戯曲とリムスキイ=コルサコフのオペラである。その存在と話の筋がふさわしいと考えられたため、1900年前後に子供のための新年のお話として普及する。
 1930年代、スターリン時代のソ連において、ヨールカ祭り(新年の祭り)の «形式» が政府によって定められた。これ以降スネグーロチカのイメージも固定化する。それによれば、スネグーロチカは金髪の若い娘。服装はシューバ、帽子(つばなし)、ミトン(親指だけ分かれた手袋)で、色は白と深い青。毛皮で縁取りされている。モローズ爺さんの孫娘であるスネグーロチカは、同時にその助手であり、またモローズ爺さんと子供たちとの仲介役でもある。ヨールカでは、モローズ爺さんに化けた男性の傍らには必ずスネグーロチカに扮した女性が付き添っている。

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最終更新日 10 09 2011

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