スラヴ人の神々

ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人は、キリスト教化された頃にはまだひとつの «ルーシ» と呼ばれる民族であった、と言える。しかも、ポーランド人やチェコ人も含めたスラヴ人はかなり遅くまで文化的一体性を保っていたため、9世紀から10世紀にかけて相次いでキリスト教化されるまでは、ほぼ共通の神々を信奉していた(南スラヴ人は若干早かった)。
 このため、ロシア人の神々、ウクライナ人の神々、ベラルーシ人の神々を区別する意味はないし、場合によってはこれら東スラヴ人の神々と、ポーランド人やチェコ人などの西スラヴ人の神々、さらには南スラヴ人の神々とを区別することもできない。少なくとも、それらも視野に入れておかなければ、古代ルーシ(東スラヴ人)の神々の実像を正確に把握することはできないだろう。

 スラヴ人は、キリスト教化以前は文字を有していなかった。このため、かれらの神々についてかれら(異教徒)の立場から書かれた文献が存在しない。こんにち残る史料は、キリスト教徒の立場から邪神視した記述か、風習や民謡、説話などに見られる痕跡といった程度でしかない。
 文献史料としては以下のようなものがある。古代ギリシャやビザンティン、アラブやペルシャの文献は、歴史時代以前のスラヴ人の信仰についての貴重な情報を提供している。ルーシの『原初年代記』その他の年代記と『イーゴリ軍記』などは、スラヴ人自身の書き残したものであるだけに、キリスト教化以後とはいえ、史料的価値が高い。ドイツ人を中心とした西欧の文献は、キリスト教化されたゲルマン人が «敵» の信仰について書き残したものであって、三重のバイアスがかかっているため、取り扱いには注意が必要であろう。
 考古学的史料も決して少なくはないが、あくまで文献史料の裏付けであって、それ自体で何らかの証明となるものではない。
 さらに民俗的な痕跡に目を向けると、民間信仰やブィリーナ、民話などは、スラヴの神々と直接的な関連はない。むしろ民俗行事やキリスト教行事により強く神々の痕跡は残されている。

 ソ連崩壊後、改めて神々(や民間信仰の対象)に関心が向けられ、近年 «新異教信仰» とでも呼ぶべき風潮が見られる。これらにおいては、古代ルーシの神々に、確実な文献史料とはあまり関係なく様々な神格や役割が付加されている。これと文献史料に基づく神格とは、厳密に区別すべきであろう。ここでは、なるべく近年 «創作» された部分をはぎとり、古来の姿を記述するよう努めた。
 もっとも、一般のロシア人にとってはそのような学術的な厳密性は意味を持たないので、特に現在のロシア人のイメージを考えた時には、むしろ新しい創作の部分の方が重要かもしれない。

 もう1点。これら神々は基本的に長い間忘れ去られていたため、文献史料上にしか存在しない神々であった。つまり、発音についてはわからない。具体的にはアクセントの位置で、ここではおそらく一般的だろうと思われるものに基づいて記述したが、これが正しいというわけではない。

 なお、ドモヴォーイやルサールカ、人狼や吸血鬼については、それぞれ別のページを設けてある。

ペルーン Перун
古代ルーシの中心的な神。
 年代記によると、907年にビザンティン皇帝と講和条約を結んだ際に、ルーシの公オレーグは「かれらの神ペルーン、そして家畜の神ヴォーロスに誓」った。約40年後、同じくビザンティンの使節と協定を結ぶにあたり、公イーゴリは近郊の丘に昇って誓約の儀式をおこなったが、この丘に建っていたのがペルーン像であった。さらにその30年後、公スヴャトスラーフは再びペルーンとヴォーロスにかけて誓っている。これらにおいては、ペルーンはしばしば武器と結びつけられている。ペルーンが公やその従士団の «庇護者» とされていたことと併せて考えると、ペルーンは戦の神、戦士の神という側面を持っていたものと想像される。ペルーンは棍棒、斧、弓(その矢が雷である)で武装していると考えられ、戦勝に際してはペルーンに犠牲が捧げられた。
 しかしペルーンの主要な神格は、雷雨、雷鳴、稲妻の神という点にある。雷が建物を焼いたとすれば、それは「ペルーンが焼いた」のであり、その火を消すことは許されない。カエサレアのプロコピウスは6世紀に、スラヴ人の信仰について、「唯一神の稲妻の神を信仰している」と記している。980年にキエフ大公ヴラディーミルがキエフ近郊の丘に建てたとされるパンテオンでは、6神の中心であった。
 以上の点において、ペルーンはギリシャのゼウス、ローマのユピテル、北欧のトール、あるいはインドのインドラに相当する。しかし語源的には、ペルーンにはかれらとの共通点はない。その一方で、ペルーンと同語源の神がバルト人にも存在している。
 ペルーンの像がキエフの丘の上に建てられていたのは偶然ではない。ゼウスやユピテルなどと同様に、ペルーンの住居も天空(あるいは天空に近い山の頂)にあると考えられていた。ただしペルーンには、天空の象徴、あるいは天空を支配する神というイメージはない。
 ペルーンの木はブナ科のカシワやナラで、ペルーンの獣は雄牛である。いずれもスラヴ人には最も身近で、しかも力強さの象徴でもある。
 のちのイメージとしては、赤(金)色の髭の老人。
 キリスト教の導入により、そのイメージは預言者エリヤと融合した。«聖エリヤの日»(旧暦7月20日)は、民間では、家畜を野に放ってはならないとされた(さもないと稲妻に打たれる)。ペルーンが家畜の神ヴェーレスと対立する神だったからである。
 ダーリの辞書によれば、背が高く、肩幅の広い頭の大きい人物で、髪も目も黒く、ひげは黄金、右手には弓、左手には矢筒を持つ。馬車を駆って空を渡り、火矢を放つ。
ヴェーレス/ヴォーロス Велес/Волос
古代ルーシの中心的な神。ただし、誓約の場合などでは、ペルーンの次に位置する。
 ヴェーレスはペルーンと並ぶ神であったと同時に、ペルーンに対峙する神でもあった。ペルーンが公や従士団の神であり、丘などの高い土地にその像が建てられたのに対して、ヴェーレスは一般庶民の神であり、市場などの平地にその像が建てられている。おそらくそのためだろう、980年にキエフに建てられたパンテオンに祀られた6神の中に、ヴェーレスは含まれていない。
 ヴェーレスがペルーンと並ぶ神であり、ペルーンと対峙する神であったのはヴェーレスが一般庶民の神だったからだが、ヴェーレスが一般庶民に尊ばれたのは、何よりもまず家畜の神だったからである。古代ルーシにおいては、家畜は主要な財産であった。このため、ヴェーレスは富の神、物質的な豊かさの象徴でもあった。このため、農民だけでなく商人にも尊崇されることとなったのである。
 ヴェーレスはさらに、ナーヴィ(冥界)とも結びつけられていたらしい。大地は富の源泉であり、ギリシャのハデスやローマのプルートーなど、冥界の王は同時に富の神でもあった。富の神であるヴェーレスが冥界と結びつけられていたとしても不思議はない。ちなみにバルト人にはヴェルスという冥界の神がいたらしい。
 『イーゴリ軍記』では、歌い手ボヤーンはヴェーレスの孫とされている。考えてみれば、ヴォーロス(ヴェーレス)は «スローヴォ слово(言葉)» と音が似ている(偶然だがアナグラムになっている)。学問的な語源ははっきりしないものの、民間ではヴォーロスが «スローヴォ» と関連づけられたとしても不思議はない。あるいはそのためか、ヴォーロス(ヴェーレス)は歌や詩などの芸術、さらには魔術などとも密接な関係を持っていた。
 音が似ていると言えば、ヴェーレスはキリスト教の聖者ブラシオス(ロシア語では聖ヴラーシー Власий、簡略化されて聖ヴラース Влас)とも関連づけられた。このため、異教時代のヴェーレス信仰は聖ヴラース信仰と混ざり合い、ロシア各地に残存している。
ダージュボグ Дажьбог/Даждьбог
年代記では、ダージュボグは太陽の神であり、スヴァローグの子とされている。ギリシャのヘリオスに等置している場合もある。
 『イーゴリ軍記』には「ダージュボグの孫」という言い回しが出てくるが、前後の文脈から判断すると、これはルーシ人を指していると思われる。つまりダージュボグは、ルーシ人(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人)の祖先と見なされていたということになる。
 ダージュボグという名前の «ボグ бог» は「神」という意味だが、ダージュの語源学的解釈は必ずしもはっきりしないが、少なくとも «дождь(雨)» という説は否定されている。炎や光といった意味合いの言葉であったとする説。«дать(与える)» から来たもので、ダージュボグとは「与える神」、「神よ与えよ」という意味だとする説もある。
 980年にキエフ大公ヴラディーミルがキエフ郊外の丘に建てたパンテオンでも、祀られた6神のうちのひとり。
 なお、キリスト教化以後は、ダージュボグ信仰は聖ニコラオス崇拝に吸収されたとも言われる。
スヴァローグ Сварог
ペルーン、ヴェーレスと並ぶ «三神» のひとりと見なす学者もいる。
 年代記では、ダージュボグの父親であり、そのため天空の神と見なされる。インド・ヨーロッパ語族の言語を話す人々は古来天空を最高神と崇めていたので(ギリシャのゼウスがその典型)、もともとルーシ人の間でもスヴァローグが最高神であったとする見解もある。
 しかし同じ年代記で、スヴァローグはギリシャのヘファイストスになぞらえられている。スヴァロージチ(言語学的には «スヴァローグの子»)が炎の神とされることから、スヴァローグも元来は炎の神、さらには(ヘファイストスとの関連から)鍛冶の神であったのではないかとも推察される。神に捧げる火が聖なる火であるならば、各家庭の火も神聖なものである。こうしてスヴァローグは、家庭の火(炉)と関連づけられる。
 また太陽も、そして火も(炉はパンを焼く)ともに豊穣と密接な関係にあったためだろう。スヴァローグはまた豊穣をもたらす神とも見られていたようだ。
 『原初年代記』1114年の項には、失われた年代記からの引用として、スヴァローグと呼ばれたエジプトの王の話が載っている。
 語源はサンスクリットの «swarga(空)»。
 もともとルーシ人の信仰は一神教だったとする説では、ペルーン、スヴャトヴィート、スヴァローグが «三位一体» の唯一神トリグラーフだった、とされる(もっとも文献上の根拠はない)。
スヴァロージチ Сварожич
火の神。西スラヴ人の間ではその像が立てられるなど、それなりに尊崇されていたようだが、古代ルーシ人(及びロシア人)にとっては、あるいは神ではなく、単純に火の «別名» という程度だったようにも思われる。
 スヴァロージチという言葉がスヴァローグに由来するのは確かである。語尾の -ич は通常「〜〜の息子」という意味の «父称» をつくる接尾辞で、すなわちスヴァロージチは «スヴァローグの息子» という意味になる。つまり、«火はスヴァローグの息子» ということで、スヴァロージチは神の名でも何でもなかった、と考えることもできる。他方、-ич という接尾辞は「〜〜の住人」、あるいは「〜〜の性格を持つ人」といった意味でも使われる。後者の意味で考えれば、スヴァロージチとはすなわち «スヴァローグの性格を持つ神» という名前になり、独立の神の名としておかしくない。
 いずれにせよ、西スラヴでは «実在» が確認されているものの、東スラヴでは実在が疑わしい神である。そのため、逆に東スラヴでもスヴァロージチが実在し、逆にスヴァローグが «スヴァロージチの父» として創作されたのではないか、とする説もある。そうであったとしても、上述のように、東スラヴではスヴァロージチは神というよりは火そのもの、あるいはせいぜい火の精霊といった扱いになっている。
ホルス Хорс
神格不明の神。一般的に «太陽神» とされている。その根拠となっているのが、『イーゴリ軍記』の「偉大なるホルスへの道をオオカミとなって走りまわった」(?)という一節である。前後の文脈から «夜明けまで» を意味すると考えられ、このためホルスは太陽神と見なされていたのだろうと推測された。
 その他の文献では、ホルスはその他の神々とともに名前を列挙されているにすぎないが、しばしばペルーンと並んで挙げられており、このことからホルスの «地位» はかなり高かっただろうと推測することが可能である。980年にキエフ大公ヴラディーミルがキエフ郊外の丘に建てたパンテオンでも、祀られた6神のうちのひとりでもある。
 ある文献には、「ホルス=ジドーヴィン」という表現がある。«ジドーヴィン» とは «ユダヤ人の» という意味であり、ホルスがユダヤ系の起源を持っていたことが示唆されていると思われる。また語源学的には、ホルスという言葉は、ペルシャ語の xuršēt (太陽) 等のイラン系の言葉に由来するとする説がある。ヴラディーミルの父が滅ぼしたハザール帝国の上層部はユダヤ教徒であり、ホルスがペルシャからハザールを経由してルーシに入ってきたとすれば、ジドーヴィンという言葉の意味もつながる。
 なお、エジプト神話にも太陽神ホルスがいるが、この場合のホルスはラテン語 Horus。古代エジプト語では «ホル» ないし «ハル» と発音されていたようで、ホルスという音の一致は日本語だけの現象(ちなみにロシア語では Хор)。
ストリボーグ/ストリーボグ Стрибог
『イーゴリ軍記』には、「風、ストリボーグの孫」という言い回しが出てくる。ここから、一般的にストリボーグは風の神と考えられている。もっとも、風がストリボーグの孫と言われている以上、ストリボーグは風そのものではなく、風を生みだす大気、あるいは天空の神ではないだろうか(とする説もある)。
 980年にキエフ大公ヴラディーミルがキエフ郊外の丘に建てたパンテオンでも、祀られた6神のうちのひとり。しかし古文献には、『原初年代記』と『イーゴリ軍記』の断片的な言及(事実上名前のみ)以外にストリボーグについての記述が存在せず、神格をはじめとして詳細は一切わかっていない。
モーコシュ Мокошь/Макошь
ルーシの神々の中で、その «実在» が確認されている限りでは唯一の女神。
 980年にキエフ大公ヴラディーミルがキエフ郊外の丘に建てたパンテオンでも、祀られた6神のうちのひとり。しかし、その神格は必ずしもはっきりしない。
 と言うのも、モーコシュと関連があるのかないのか、北ロシアではモコーシャ Мокоша という精霊の存在が信じられていたからである。モコーシャはイズバー(ロシア式家屋)に隠れ住む、大きな頭と長い手を持った女性で、夜に羊毛を紡ぐと信じられていた。特に牧羊、紡績、裁縫と強く関連づけられている。
 文献に残るモーコシュについての記述が、果たして女神モーコシュについてのものなのか、それとも精霊モコーシャについてのものなのか、それともこの両者は同一視することができるのか、その辺りがはっきりしない(多くの文献ではこの両者を同一視・混同している)。
 一般的には、モーコシュは女神として、結婚や出産を司る女神であり、多産や結婚生活の庇護者でもあったとされる。その役割は、たとえばロジャニーツァとも共通し、キリスト教化後は聖パラスケーヴァに奪われた。
セマールグル/シマールグル Семаргл/Симаргл
神格不明の神。古い文献史料には名前しか記されていないからである。その名前すら様々に書かれていて、本当の名前がどういうものであったのかもよくわからない。
 980年にキエフ大公ヴラディーミルがキエフ郊外の丘に建てたパンテオンでも、祀られた6神のうちのひとり。このことからして、当時のヴラディーミルにとっては重要な意味を持つ神であったことは確かである。
 古代ペルシャの神話的鳥シームルグ Simurg がセマールグルである、とする説がある。この説には異論もあるが、もしそうであるならば、ヴラディーミルの当時キエフ大公の支配下にあった多くの南方系異民族(ハザール人、ユダヤ人、イラン系)の信仰していたシームルグをパンテオンに取り込むことで、かられに対する支配を確立しようとしたものと理解することができるだろう。
 いずれにせよ、その起源も何も不明であるので、神格についても種々の説があるものの何ら確定したことは言えない。あるいは火の神と見る者もあり、あるいは人と神との仲介役であるとする説もあり、あるいはシームルグとの連想から翼のある犬とする説もあり、豊穣と関連づける見方もある。
ヤリーロ Ярило/Ярила
男神。古代ルーシから伝わる文献史料には登場しない。しかし18世紀の文献には、ヤリーロという名の古代の神がいたことが記されている。
 ベラルーシの伝承では、ヤリーロは若く美しい男神で、白いマントを羽織っている。野の花からつくられた花輪を頭にかぶり、左手にライ麦の穂を持ち、はだしで、白馬に乗っている。その祝祭は4月、種蒔きの季節に、種を蒔かれたばかりの畑でおこなわれる。ひとりの乙女にヤリーロの格好をさせて白馬に乗せ、ほかの乙女たちがその周囲でヤリーロに捧げる歌を歌いながら輪舞を踊る。一方、ペンテコステ(復活祭から49日後)の後には、再びヤリーロの祝祭がおこなわれる。今度は主役は老人で、人形の入った棺を野に運び、そこに埋葬する。ヤリーロの埋葬である。
 語源学的には様々な説があるが、大方のロシア人は яра(春)、ярый(春の)、яровой(春蒔き穀物の)、ярица(春蒔き穀物)などから連想し、ヤリーロを春の神、豊穣の神と見なしていたと思われる。異教時代の春の祭礼の中心的存在であり、それだけに、パンテオンには祀られていないが、民衆の間ではキリスト教化の後も生き残ったものと見られる。もっとも、ヤリーロが古代ルーシから生き残った神であることを否定し、新しく創造された祭祀用の存在であるとする説もある。
 西スラヴ人の神ヤロヴィートと同一視されることもある。こちらは12世紀の文献に言及されている。
ロード Род
現代ロシア語では род は «氏族・一族» という意味。動詞 родить が «生む»、形容詞 родной が «血のつながった»、名詞 родина が «母国»、といった同語源の言葉を見れば、おおよその起源はわかる。
 しかしこれが神であったか否かについては、議論が分かれている。すなわち、古い文献史料ではこの言葉が神として使われている形跡は見られないのである。一方では、単に神であるのみならず、汎スラヴ的な古い神で、天空を支配し、生命をもたらす最高神とする説がある。他方で、ロードは神ではなく、精霊、しかも単なる祖霊だとする説もある。後者の説では、ロードはある意味ドモヴォーイの一種(別名)ということになる。
ロジャニーツァ рожаница
ロードの付随的存在。ロードが一族全体の守護神であるとするならば、ロジャニーツァは一族の中の女性の守護神である。特に妊婦 роженица の庇護者であるのは、語が似ているからでもあろう。のち、その役割は聖母マリアと正教会の聖者たちによって奪われていった。
 一部学者は、ロジャニーツァとはラーダとレーリャの母娘のことだともいう。
ラーダ Лада
主に西スラヴの女神。その神格ははっきりしないが、基本的には春の恵み(豊穣)の象徴であり、愛と結婚の女神でもあると考えられる。
 しかしラーダが本当に神であったのかについては、異説もある。ラーダ(ないしラード)は、広くスラヴ人の間で歌われる婚礼の唄を中心とした民謡に繰り返し登場する。学者の中には、これは神に対する呼びかけではなく、単なる意味のない «掛け声» だ、とする者もある。この «掛け声» が、いつしか実体を持って、女神像が造形されていったのではないかとする。
レーリャ Леля
春の女神。時にレーリ Лель と呼ばれ、男神とされることもある。ラーダの付随的存在。
 ラーダと同様、民謡に登場するのみで、15世紀以前の文献では言及されていない。これまた «掛け声» が神と認識されるようになっただけの存在だろう。
ベロボーグ Белобог
文字通り «白い神»。ただしベロボーグなる神が崇拝された痕跡、それどころか、ベロボーグなる神が «実在» した痕跡すらない。
 西スラヴ人の間では、チェルノボーグの存在が信じられていた。他方で、«白い神 белый бог»(要は善い神)という言い回しも存在した。ベロボーグとは、これを基にして学者たちがマニ教的善悪二元論的存在として、チェルノボーグに対立する神として創造したもの、と言うのがおそらく適切であろう。少なくともロシア人とは無縁な存在である。
チェルノボーグ Чернобог
文字通り «黒い神»。西スラヴの神。
 ベロボーグとは異なり、その «実在» はほぼ確かである。ただし、どれほど重要な存在であったのか、どれほど «悪» であったのかは、その史料の少なさゆえにあまりよくわかっていない。近代に入ってベロボーグとチェルノボーグとの二元論でスラヴ神話体系を理解しようと学者たちが努めた結果、少々過大評価されている側面があるようにも思われる。少なくとも古代ルーシにおいては、ほぼ無視できる存在であったと想像される。

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最終更新日 10 09 2011

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