ロシア人の父称

  1. 父称 отчество を持つのは、ヨーロッパではロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ブルガリア人、アイスランド人だけ(たぶん)。
  2. 父親のイーミャからつくり、«◯◯◯の息子・娘» を表す。

父称とは

 英語のジャクスン、スコットランドのマクドナルド、アイルランドのオニール、スペインのロドリゲス、デンマークのアンデルセン等々、多くの言語にはこのように、«◯◯◯の息子・娘» を表す形が存在し、それが姓となっている。
 ロシアにおける父称というのは、まさにこれらと同じものだ。しかしロシアの場合は、父称が姓になることなく、それとは別に姓がつくられてしまったため、父称というものがこんにちまで残っているのである。

 つまり父称とは、父親のイーミャを示す «記号» なのだ。よって、父親のイーミャに応じて機械的につくられることになる。
 イーミャにせよ姓にせよ、その気になれば好き勝手に変更することができる。しかし父称は、法律上、もしくは生物学上の父親が誰かによって自動的に決定され、誰の恣意によっても替えることは不可能である。
 ということはつまり、兄弟姉妹で父称が違うとすれば、それは異父兄弟だということになる。
 『カラマーゾフの兄弟』で、私生児スメルジャコフは、フョードル・カラマーゾフの子とみなされていたため、人からパーヴェル・フョードロヴィチと呼ばれた、とされている。フョードロヴィチ、つまり «フョードルの息子» ということである。

父称のつくり方

 父称のつくり方は、このように簡単である。父親のイーミャに、息子の場合は «〜〜ヴィチ -вич»、娘の場合は «〜〜ヴナ -вна» をつけるだけ。
 ただし、ロシア語には硬音・軟音の区別があるので、硬音の場合は «〜〜オヴィチ -ович»、«〜〜オヴナ -овна»、軟音の場合は «〜〜エヴィチ -евич»、«〜〜エヴナ -евна» となる。別の言い方をすると、イーミャからつくられた姓(これについては次のページ等を参照)に、«〜〜イチ»、«〜〜ナ» をつけるということだ(厳密には違う)。
 なお、«〜〜イイ -ий» で終わるイーミャの場合は、«-иевич»、«-иевна» のほかに «-ьевич»、«-ьевна» となることもある。
 «〜〜アー -а»/«〜〜ヤー -я» で終わるイーミャの場合は、〜〜アー・〜〜ヤーを削って «〜〜イーチ -ич»、«〜イーニチナ -инична» をつける。
 露和辞典によってはイーミャごとに父称が記載されているものもあるが、基本的にルールに則っているので大概は不必要だ。

 具体例をいくつか挙げてみよう。
 父親のイーミャがイヴァン Ива́н の場合、息子ミハイールはミハイール・イヴァーノヴィチ Михаи́л Ива́нович、娘アンナはアンナ・イヴァーノヴナ А́нна Ива́новна となる。
 父親のイーミャがアンドレイ Андре́й の場合、息子ミハイールはミハイール・アンドレーエヴィチ Михаи́л Андре́евич、娘アンナはアンナ・アンドレーエヴナ А́нна Андре́евна となる。
 父親のイーミャがドミートリイ Дми́трий の場合、息子ミハイールはミハイール・ドミートリエヴィチ Михаи́л Дми́триевич、娘アンナはアンナ・ドミートリエヴナ А́нна Дми́триевна となる。
 父親のイーミャがイリヤー Илья́ の場合、息子ミハイールはミハイール・イリイーチ Михаи́л Ильи́ч、娘アンナはアンナ・イリイーニチナ А́нна Ильи́нична となる。

 不規則なつくり方をする例としては、以下の3つがある(ほかにもあるが、とりあえずよく使われるイーミャのみ)。
 ミハイール Михаи́л からは、ミハイロヴィチ Миха́йлович、ミハイロヴナ Миха́йловна。
 ヤーコフ Я́ков からは、ヤーコヴレヴィチ Я́ковлевич、ヤーコヴレヴナ Я́ковлевна。
 ニキータ Ники́та からは、ニキーティチ Ники́тич、ニキーティチナ Ники́тична。

 逆に見ると、ミハイール・セルゲーエヴィチ Михаи́л Серге́евич というのは、«セルゲイの息子のミハイール» という意味である。
 同じく、レフ・ニコラーエヴィチ Лев Никола́евич だと «ニコライの息子のレフ»、ソフィヤ・アレクサンドロヴナ Со́фья Алекса́ндровна だと «アレクサンドルの娘のソフィヤ» ということになる。
 前大統領・現首相メドヴェーデフのフルネームは、ドミートリイ・アナトーリエヴィチ・メドヴェーデフ Дми́трий Анато́льевич Медве́дев という。父親のイーミャがアナトーリイ Анато́лий だったことがわかる。
 現大統領プーティンのフルネームは、ヴラディーミル・ヴラディーミロヴィチ・プーティン Влади́мир Влади́мирович Пу́тин という。父親と息子が同じヴラディーミルというイーミャなのでこういうことになる。
 フョードロフという姓の家庭に、フョードルというイーミャの親父がいて、生まれた息子にフョードルと名付けたとすると、フョードル・フョードロヴィチ・フョードロフ Фе́дор Фе́дорович Фе́доров という冗談みたいな名前ができあがる。しかしこれは笑い話ではない。1949年までは、エゴリーヒノという村に住む男性は全員がエゴール・エゴーロヴィチ・エゴーロフ Его́р Его́рович Его́ров だったという話がある論文に載っていた。これは聖エゴーリイ(聖ゲオルギオス)信仰がもたらした極端な例である。
 このような事態は、姓もまたイーミャからつくられる場合があるからだが、それについては姓についてのページで説明する。いずれにせよ、姓も父称も同じイーミャからつくられると、こういう事態が引き起こされる。
 ただし、どちらかと言うとロシア人は息子に父親と同じイーミャを名付けるのは嫌う傾向があるように思われ、プーティン大統領のような例は少数派に属すると言えるだろう。
 言うまでもなく、父称は父親のイーミャからつくられるため、女性であればこのような例はまず存在しない。父親のイーミャに女性形が存在し、それを娘につけた場合が例外となる。たとえばアレクサンドラ・アレクサンドロヴナ Алекса́ндра Алекса́ндровна とか。

補足

 別途説明するが、ロシア人への呼びかけにはイーミャと父称が欠かせない。

 細かい話だが、『罪と罰』で主人公を「ロディオーン・ロマーノヴィチ Родио́н Рома́нович」ではなく「ロディオーン・ロマーヌィチ Родио́н Рома́ныч」と呼びかけている場面がある。
 「〜オヴィチ」ではなく「〜ィチ」にすると、比較的親しげな感じになるらしい。もっともこれには発声上の問題もあって、本人は普通に発音しているつもりでも他人にはこんな感じに聞こえることが多々ある。

 なお、ロシア人以外にも «〜〜ヴィチ» という名前があったりするが、それらは父称ではない(これについては姓のページでも説明している)。
 たとえばセルビアのミロシェヴィチ Milošević は姓である。ただ、これもミロシュ Miloš というイーミャからつくられたもので、本来の意味は «ミロシュの子» を意味する。
 またベラルーシ人(とポーランド人)の姓には «〜〜ヴィチ» というのが多い。タラゼーヴィチ、シュシュケーヴィチ、シェンキェヴィチ、ミツケヴィチなど。これらの由来は知らないが、少なくとも現在は父称とは何の関係もない。

非ロシア人の父称

 外国出身者、あるいはロシア国民であっても非ロシア人の場合はどうなるかと言うと、まったく同じ仕組みである。父称は父親のイーミャから機械的につくられるものであるから、たとえ外国人、あるいは非ロシア人であっても、父親のイーミャから自動的につくられる(いかに «不自然» なものであろうと)。
 たとえば、1647年、クロムウェルのイギリスを逃れてロシア軍に勤務するようになったスコットランド王家の末裔ウィリアム・ブルース(英語)の長男ロマーン(ロシア語)は、ロシアではロマーン・ヴィリーモヴィチ・ブリュースと呼ばれた。
 女帝エカテリーナ1世の兄カール・スカヴロンスキの子はマルティン・カルロヴィチ・スカヴロンスキイといった。
 ポーランド人フェリクス・ジェルジニスキはロシア語ではフェリクス・エドムンドヴィチ・ゼルジンスキイ、グルジア人ヨシフ・ジュガシュヴィリはロシア語ではイオシフ・ヴィッサリオーノヴィチ・ジュガシュヴィリ(スターリン)、フィンランド人オットー・クーシネンはロシア語ではオットー・ヴィリゲリモヴィチ・クーシネン、といった具合である(いずれも父称は父親のイーミャである)。
 ゆえに、«ヤマダ・タロウ» とかいう日本人の子 «ジロウ» は、ロシア語では «ジロウ・タローヴィチ・ヤマダ» となる。袴田陸奥男の娘イリーナはイリーナ・ムツオヴナ・ハカマダである。
 もっとも、こんにちでは外国人に無理やり父称を «創作する» ということはない。非ロシア系のロシア国民でも、父称を持たない(無理につくらない)人も多くなっているようだ。

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最終更新日 23 07 2016

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